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”our uprising will remain with us,”――「蜂起/野戦攻城2017@駒場」に寄せて

私たちが、なんであれ探し求めている瞬間には、私たちは至上権を持って(souverainement)生きてはいない、私たちは現在の瞬間を、あとに続くであろう未来に従属させている。[1]

来たか長さん待ってたホイ。
何の因果か、建設現場に出入りしていた時、土工の親方が私の顔を見るなりニマリと笑みを浮かべながら投げかけてきた言葉を、桃山邑氏の話から私はふいに思いだした。当時の私は肩書き上、零細ゼネコンの現場監督であったが、一日のほぼ全てを敷地に拵えられた仮設事務所の外で過ごす、末端の作業員同然であった。ただ、私は他の現場監督の誰よりも職人の顔を知り、声を聞く立場にあった。
現場に出入りするさまざまな業者は、基本的に(少なくとも最初は)互いに利害を共有しない他人同士である。それが「生きる」上で優先されるならば、人為的・自然的アクシデントが多発する仮設資材で囲まれた敷地のなかで、彼らは声をあげて対立し、あるいは怠けることを辞さない。不確定性のなかで各々の(集団の)役目をいかに遂行するかがつねに焦点となる。その意味において、現場はまさしく演劇的である。建設現場というものが、一つの場所で起こるものでもなければ永続的でもない、アドホックなものであることが、この演劇的リアリティを強めている(藤森照信氏がどこかで述べたように、コンクリート打設は「お祭り」である)。役目を終えれば、皆去って行く。
建設は折衝の連続であり、声が飛び交っている。声はいつも現場監督に対する直接的な要求であるとはかぎらない。誰かに対する愚痴、それ以上にたくさんの笑い話、無駄話。ただ陽気だから、あるいは苛立っているから感情にまかせて話しているのではなく、「必要だから」彼らは言葉を求めている――奇しくも私の最初の現場は、1987年に桃山氏らが水族館劇場旗揚げのために向かった筑豊に近かったが、そこで私が驚いたのは、言葉が現場のリアリティのために独自の機能を持っていることだった。暇だから世間話をするのではなく、雑談が暇をつくる。来たか長さん待ってたホイ。お前さんが来ることは分かっていたんだ、準備はできてる、さあ俺たちは何をすればいい。[2]
職人たちは探している。探しながら、言挙げする機会をうかがっている。職人たちは、特に親方は、目前の仕事に取り組むと同時に、よりマクロな視点から独自のシミュレーションを働かせており、現場が彼らの算段からいかにずれているかを敏感に判断して、言葉を強く弱く発することを心得ている。声を大きくすることで他の業者に睨みをきかせ利害を守ろうとする者もいれば、寡黙に耐えている者もいる。したがって、彼らの声を聞くとは、要望を聞くことというよりむしろ、相対の場面に赴くことである。

[...] our uprising will remain with us, [...] [3]

カリーニングラード(ケーニヒスベルク)の芸術家キリル・グルシュチェンコは、2000年代の終わりからドゥブナ、プスコフ等のロシアの小都市やリトニア、エストニア、ドイツといった周辺諸国の都市を写真に撮りつづけている。しばしば無人の閑散とした大地で木々とともに静かにたたずむ建築が、都市の記憶を記録する遺物としての性格を強調しているように見えるのは偶然ではない。旅の目的を彼は次のように要約する。「都市のポートレートを通して、私はソヴィエト連邦のモールドを制作している」。[4]
グルシュチェンコの写真家・都市の記録家としのて経歴は、少なくとも2000年代初期にまで遡ることができる。それは、彼にとってのもう一つの主要なメディアは、8-bitコンピュータ上で描画されるコンピュータ・グラフィックスによって実現されてきたものである。デモシーンという、ヨーロッパを中心としたコンピュータ・プログラムとして実行されるオーディオ・ヴィジュアルな表現形態(デモ)の技術的・美的価値を競い合うコミュニティのなかで、彼はkqというハンドルで知られている。
デモシーンは、Apple IIやCommodore 64のようなホームコンピュータ用の商用ゲームを、コピープロテクションを破りながら無料で仲間内に流通させることを目的とする、クラッカーと呼ばれるティーンネイジャーによって形成された競合的なコミュニティを前進に持つ。興味深いことに、このような「クラッキングシーン」がデモシーンへと成熟していく過程で、世界中のコミュニティの住人たち(シーナー)は、最新のコンピュータハードウェアで表現の可能性を広げるばかりでなく、現行世代から外れたコンピュータの可能性をも発展させていった。グルシュチェンコの住むロシアでは、元々は1982年にイングランドで発売されたホームコンピュータ、ZX Spectrumの「互換機」が主要なデモ・プラットフォームとして独自の地位を築いている。[5] 1990年代の終わりから、ティーンネイジャーの彼は「グラフィシャン」としてConstellationやSerious Speccy Group等のSpeccy(Spectrumの愛称)グループに属することを通して、デモシーンに参与していった。
kqの名が言語的な壁を越えてヨーロッパまで響き渡るのは、2002年から、sqやnqとともにskrju(発音は英語のscrewと同じ)という自らのデモグループでデモを発表してからである。[6] とりわけ、2003年に発表された「Fuck You Scene」は、本国でのコンペティションの結果こそ四位であったももの、彼らを認知させるに足る大きな反響――称讃と敵意――を得た。[7]

ZX Spectrumの十五の固定されたカラーパレットの内の二色で表現される、どこか沈鬱な雰囲気の画面。モノクロームに原色処理された写真のビットマップ・グラフィックスの上を無関心に浮遊する3Dオブジェクト。抽象的であると同時に力強いテクストとタイポグラフィ。必ずしもBGMとして鳴るように作られていないサウンドトラック。同年に発表された「Why?」とともに、ここでskrjuの基本的なスタイルが確立されている。なかでも目を惹くのは、デモシーンでは2Dあるいは3Dのアニメーションに高く比重を置いているのに対して、彼らが静止した写真(撮り込み画像)を多用することである。何かを判別することも難しい、キャプションも付かずに提示されるこれらの肌理の粗い画像は、しかし無作為に選ばれたものではなく――驚くべきことに――撮影者・加工者に関連するとおぼしき都市とその記憶を扱っているように見える。この推測は、「写真家」グルシュチェンコの経歴と照らし合わせる時、モチーフの反復等から一定の妥当性を持つように思われる。
2004年にリリースされたあるディスクマガジンのなかで、彼は例外的にこのデモに使用された画像の解説を試みている。[8] はたして、その言葉は韜晦と脱線にみちており、グルシュチェンコ個人と画像の関連性を正確に位置づけるのは難しいが、いかにしてこれらのイメージに魅せられたのか、情熱的な口吻で語っている。同じ場所で発表された(やはり異様な熱気で書かれた)「demoscene rebel」とともに、当時彼らがマニフェステーションの時期にあったと想像するのは難しくない。

この記事のなかでグルシュチェンコは「Fuck You Scene」に見られる画像を一枚一枚紹介しているが、そのなかで唯一説明を免れているのが、イワン・クラムスコイの描いたドストエフスキーのデスマスク(1881)の加工画像である。代わりに、彼はデモに使用されなかったヴァリエーションを提供している。[9] そのなかで瞼を閉じた作家の穏やかな顔は、骸や猿と見紛うまでに変形されている。これだけなく「Why?」や翌年発表された「Idiot」といったskrjuのデモは、当時彼(ら)がドストエフスキーからインスピレーションを得ていたことを伝えるものであるが、特にデスマスクの画像は、skrjuのデモのメランコリックな外見が、沈思よりも闘争のために選ばれた形態であることを示すものである。たしかに、「Fuck You Scene」は明らかな挑発性を備えている。だが、それ以降彼らが同じようなメッセージを表に出すことを控えるようになっても、イメージに駆動された闘争的なメランコリアは継続されているように思われる。それを支えるのは都市の記憶を敏感に感受する者によって遂行されているのは言うまでもないことである。

以上は、7月29日、東京大学駒場キャンパスで開催されたシンポジウム「蜂起/野戦攻城2017@駒場 ──「出来事」(として)の知」を通して得た私のささやかな連想である。冒頭の私の記憶は、第二部の桃山邑氏の発表「藝能としての建築」から喚起されたものである。第一部のパフォーマンスとパネル・プレゼンテーションでは、展覧会「蜂起(Soulèvements/Uprisings)」のなかで企画者ディディ=ユベルマンが選んだイメージ群が再構成され、舞台で上演された。それら「蜂起」展の「拡張」は、精緻な読解に基づく展示の優れた導入にもなっており、学ぶところが多かった。ユベルマンは蜂起を要素、身振り、言葉、闘争、欲望という五つの相/カテゴリーを経る反復的で流動的な中間的プロセスとして提示している。蜂起は「風にはためく旗」のような、元素と物質の世界への具現化で始まる。次にこのイメージの感知と転移を通して、個体に具現化される。それは身振りと言葉によって世界に蜂起を与え返すことでもあるだろう。始まりに人間が除外されているわけではないが、蜂起は単純に人間の内面的意志に起源する/集約されるものではない。蜂起が声を高らかにあげることのみによって遂行されるのではないにしても、始終どこか耐え忍ぶような三浦翔氏のパフォーマンスと、第二部の総合討議の時に氏がふともらした「宙吊り」という言葉は、この「単純さ・明白さ」を人間(個体)が表象することの難しさを伝えているようにも思えた。続くパネル・プレゼンテーションは、ディディ=ユベルマンの提起する蜂起がリニアな段階論や弁証法的なサイクルにとどまるものでないことを詳細にたどるものであったと同時に、近くの遠くの耐えなければならない私たちの苦渋を感受する私たち自身の方法を発明せよ、と促すものであった。第二部の桃山邑と田中純の両氏の発表は、ケース・スタディと評しては矮小化してしまうおそれがあるかもしれないけれども、個体を通して、個体によって起こり得た「発明」をヴィヴィッドに伝えるものであった。この一文がシンポジウムと同様、蜂起の困難と勇気に応えるものであることを願う。

おお、波のように、木の葉のように、雲のように
わたしを起たせよ!
わたしは人の世のいばらの上に倒れ、傷つき果てた!
[...]
森のごとく、わたしをおまえの竪琴にせよ
森の木の葉の散るようにわたしの言の葉を吹き鳴らせ!
[...]
まだ燃えつきぬ火床から灰と火花とを
まき散らすように、わたしの言葉を人々にまき散らせ!  [11]

蜂起/野戦攻城2017@駒場 ──「出来事」(として)の知
http://before-and-afterimages.jp/news2009/2017/07/2017.html

[1] G・バタイユ「講演・「無-知」について」渡邊守章訳、『パイデイア』八号、竹内書店、1970、119頁。この後、文章は次のように続く。「この私たちは、私たちの努力のはてに、至高の瞬間に到達するかもしれないし、事実、努力は必要であるかもしれないが、しかし努力の時と至高の時とのあいだには、必然的に一つの断絶があり、それは深淵と呼んでよいものですらある」。
[2] 桃山氏は寄せ場に「フィールドワーク」に来た学生を揺さぶりにかけたある土工の「殺し文句」を紹介していたが、このような相対のなかで最大の効果を狙う「瞬間芸」を職人は持っている。
[3] kq (2004), "demoscene rebel":
http://cpu.untergrund.net/adv/scene/rebel-en.html
初出はCyberPunks Unityの発行するZX Spectrum用のディスクマガジン「adventurer」15号。http://www.pouet.net/prod.php?which=13306
[4] Glushchenko, Kirill, "About": http://kirillgluschenko.net/
[5] ソヴィエト・ロシアとコンピュータハッキングとデモシーンの形成については、Elfhの「A Brief History of the Russian Spectrum Demoscene」(2010)が啓蒙的で有益である。http://zine.bitfellas.org/article.php?zine=14&id=6
拙訳は次の記事を参照。https://akaobi.wordpress.com/2014/02/28/a-brief-history-of-the-russian-spectrum-demoscene-by-elfh-konstantin-elfimov/
[6] 結成は2001年。sqはコーディングを、nq(Nik-O)は音楽を担当しているとされる。当初はディスクマガジンも発行していたが、主要なリリース形態はすぐにデモに移った。skrjuの「デモグラフィ」は彼らの公式サイトを見られたい。作品を個別にダウンロードすることが可能である。http://skrju.thesuper.ru/
[7] https://www.pouet.net/prod.php?which=11522 あるいは https://chipflip.wordpress.com/2010/05/20/passionately-fucking-the-scene-skrju/ を参照。
[8] kq (2004), "fuck you scene": http://cpu.untergrund.net/adv/scene/fuck_en.html
[9] 前掲記事に掲載された画像から再構成。
[10] 「Why?」の作中に見られる詩的テクストの、グルシュチェンコ自身によるトランスクリプトをそのまま引用する。

i grabbed a pice of paper,
Thrust it into the pocket,
And run after myself.
i was puffing.
always looked back,
left-right,
left-right,
move, move.
i stared at the wall.
they say i'm freak,
left-right,
someone think i'm perfect,
move, move.
i teared off my jacket,
threw it into the garbige can.
left-right,
I was a muddlehead,
worms were stiring in my head,
Dostoevsky.
DoDostoevsky.
DoDoDostoevsky.
what for?
why?

http://www.pouet.net/prod.php?which=9636
[11] シェリー「西風に寄せるオード」、若桑みどり『風のイコノロジー』、主婦の友社、1990、105-106頁。明記されていないが、若桑訳と思われる。

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