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Knockin' On Heaven's Door

 大学を出てからの数年間、彼とは会っていなかった。あんなに毎日のように会っていたのが嘘のようだった。繊細な男で人間嫌いだったけれど、なぜか僕とはウマがあって、毎日のように大学のラウンジや彼や僕の部屋で、コーヒーやら酒やら飲みながら、映画や音楽やアニメやマンガや小説について、ああでもないこうでもないと話をしていた。

 彼は作家を志望していて、在学中にいくつかの短編を書いていた。僕にも、というか僕にだけ見せてくれたようだったが、そう悪くはなかった。つたないながらも彼の彼らしさを感じさせるものだった。

 ただ不安定な性格で、授業に何日も出てこないこともしばしばあった。入学当初はそれなりにいた友人もだんだんと彼には声をかけなくなって、彼の動向を知っていたのは僕くらいかもしれなかった。僕は僕で友人はいたのだが、彼とは他の友人とはできない話ができた。

 世間的には名門で通っていた大学で、成績もお互い悪くはなかったが、彼は創作を優先したくて、就職することには消極的だった。僕は人並みにいい企業に就職したくて就職活動を始めて、そのあたりからだんだんと彼には会わなくなっていった。

 最後に彼に会ったのは、大学の就職課で偶然にだった。彼はいつものスタジアムジャンパーを着ていた。「生活のためにはバイトでもすればいいかと思っていたけど、就職しなきゃ勘当だって親がいうんだよ」肉親とのつながりを断って自分の道をいくのは、思うほど簡単ではない。「働きながら小説を書くほうが、君にもご両親にもいいんじゃないか」というようなことを、まとまらない言葉で話したと思う。

 在学中に一度、彼は救急車で運ばれたことがある。酒に強くはなかった彼だが、ウォッカをひと瓶一気に飲み干して、昏睡状態の中、自分で119番に電話したらしい。

 彼の母親から僕の携帯電話に連絡が来て(九州から出てきている彼は、東京で何かあったらここに電話するようにと、僕の連絡先を教えていたそうだ)僕は病室を見舞った。彼はひどく打ちのめされたような顔をしていた。

「天国に行くにはウォッカ2本は必要だってさ」そう医者に聞いたと彼は自嘲的に笑った。

 今度もまた、電話があったのは彼の母親からだった。数日連絡が取れないので見に行ってみてくれないかとのことだった。彼は先月仕事をやめたそうで、そのことで母親と電話で口論になったらしい。「私たちからの電話に出ないだけならいいのだが、心配だから見に行ってほしい」と。

 しばらく連絡をとっていない気まずさもあったが、ひとまず彼に電話を入れてみた。応答はなかった。テキストメッセージも入れてみたが、やはり応答はなかった。

 彼の住居は大学時代と変わっていなかった。オートロックのないアパートの2階で、駅からの道筋はまだ覚えていた。授業に出てこない彼を時々訪ねたものだ。

 電話にもドアチャイムにも反応がない時は、ドアについた郵便受けのフタを押し上げて中をのぞいた。廊下にカーテンも掛けていない彼の部屋は居間まで筒抜けで、寝ている彼の体が見えて、ドアをガンガンと叩いて起こしたものだった。

 そんなことを思い出しながら彼のアパートにたどり着いた。1階には以前と同じ場所に、彼の自転車があった。

 部屋まで行ってチャイムを鳴らしたが、応答はなかった。コンコンとドアを叩いて、オーイと呼んで見たが反応はなかった。郵便受けを押し上げて中をのぞいてみた。

 まだカーテンは掛かっていなかったが、彼の体は見えなかった。代わりに見えたのは、ウォッカの空き瓶が3本。そしてアルコールの匂いに混じって、何か嗅いだことのない、嫌な匂いがした。

 今度はガンガンとドアを叩いて、大きな声で彼の名前を呼んだ。それを聞いて出てきた隣人に、不動産屋へ合鍵の連絡を頼んだ。救急車と警察どちらに連絡すればいいのか迷って、119番に電話をした。

 救急車と不動産屋、どちらが早いだろう。おそらく救急車だろう。鍵はないが救急隊員ならドアを破れるのかもしれない。とにかく今は待つしかない。

 彼はまだ小説を書いていたのだろうか。いくつか世に出せるものもあるんだろうか。彼の代わりに世に出すとしたら、それは自分の役目なのだろうか。

 まるで進まない時計にちらちらと目をやりながら、僕は救急車と不動産屋を待った。

 彼の母親には、まだ電話できずにいた。

(終)

♫Knockin’ On Heaven’s Door / Bob Dylan

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ルシア・ベルリンの短編集『掃除婦のための手引き書』に収録された『さあ土曜日だ』の文章教室に出てくる「宿題」に沿って書いたものです。

・長さが2,3ページで、最後に死体が出てくる話
・ただし死体は直接出さない。死体が出ることを言ってもだめ。
 話の最後に、このあと死体が出ることを読者にわかるようにする。

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