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和敬清寂|茶道のことば

和敬清寂(わけいせいじゃく)、お聞きになったことはありますか?

茶道のお稽古や関連の書籍を読んでいると、たまに目にします。
たまに目にするも、他の禅語と同じように取り立てて関心を払っていませんでしたが(テヘッ)、どうやら茶道の中では特別なことばのようです。

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和敬清寂は、利休の茶道に対する考えが端的に示されていることばであり、今も大切にされている、四規七則(しきひちそく)の四規にあたります。

(七則は利休さんのことばとして伝わっています。また後日ご紹介しますね。一方で四規については、かつては利休のことばとされていたようですが、どうやら違うようです。「茶道文化検定公式テキスト」でもそのあたりはぼかされています。利休さんのことばでないとしても、利休の考えを伝えているという点は正しいということなのでしょう。)

「和」とは、お互いが仲良くするということです。茶席では、亭主と客が一椀の茶を介して一座建立するようにつとめます。
(出典「茶道文化検定公式テキスト4級」監修/一般財団法人今日庵茶道資料館)

私の好きなことば、一座建立が出ました!
茶道に関わらず、どんな場面であっても、それぞれこ立場の人がその場を良いものとするように心がけたいですよね。言うは易し行うは難しなのですが。

「敬」とは、お互いが相手を敬う心です。また、それだけでなく、人は自然のなかでさまざまなものに支えられながら生かされていることを考え、万物に感謝し敬う心で茶をいただくことが大切だとしています。(出典同じ)

拝見するお道具へ礼をすることなどは、この「敬」の現われなのでしょうか。以前は、その道具を取り揃えてくれた亭主への感謝から礼をするのかなとも思っていましたが、道具のつくり手であったり、大切に保管してくれた過去の持ち主への感謝の気持ちも含まれていそうですね。
さらに人に限らず万物となると、なかなかその意識を保つのは私にはまだまだ難しそうです。

「清」とは、清らかということです。茶席に入る前には、身だしなみを整え、手水鉢(ちょうずばち)で手を洗い、口をすすぎます。これは外見の汚れを清めるだけでなく、心も清めるということです。(出典同じ)

私の通うお稽古場は常にきれいに管理されており、まさに心も清められる場所です。先生、いつもありがとうございます。
外部の環境の良さにより、自身の内部が清められるのは、それはそれでありがたいことではあるのですが、本来は、内部の清らかさは自発的に常にあると良いんでしょうね…。
静と書かれることもあるそうですが、それは間違いとのことです。

「寂」とは、静かで何ごとにも乱されない不動の心です。この心は、茶道の実践を通して自分を見つめることで育まれ、何事にもゆとりを持ってやっていけるという心の大きさが生まれます。(出典同じ)

不動のこころ、ゆとり、こころの大きさ…、欲しいですね~。欲しいなぁ。
浅学ですが、4つの言葉の中で最も仏教的な感じがします。

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資格が欲しいというよりも、抜けている超基本的な知識を補おうと茶道文化検定のテキストを読んでいます。すでに知っていることも多いのですが、知らないことや、考えずに受け入れていたことなどの説明などあり、楽しく学べそうです。

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