阿加井秀樹が紹介する負の世界遺産

みなさんこんにちは。
阿加井秀樹です。

今回は少しテイストを変えて「負の世界遺産」についてご紹介していきます。

負の世界遺産とは人類が犯した過ちを記憶にとどめ、教訓とする遺産といわれています。

ただし、不の世界遺産は世界遺産条約として明確にカテゴリー化されているものではありません。

そのためどの遺産を負の世界遺産とするのかというのは諸説ありますが、いろいろ調べた中でここは押さえておくべきだという世界遺産をご紹介していきたいと思います。

まず負の世界遺産と聞いて思い浮かぶ場所といえば日本、広島にある原爆ドームです。

世界遺産として登録されたのは平成8年1996年になります。日本人であればすべての方が知っている負の遺産といっていいでしょう。

原爆ドームは、1915年(大正4年)に広島県物産陳列館として建設されました。中央にそびえる銅板葺の卵型ドームがあるヨーロッパ風の建物は珍しく、当時の広島のシンボルでもありました。

物産品の展示・販売だけでなく、県美展の会場になるなど、博物館・美術館としての役割も担っており、1933年(昭和8年)に産業奨励館と改称しました。

1945年8月6日8時15分、人類史上初の原子爆弾が広島に投下されました。原子爆弾は原爆ドームの上空の東側580m上空で炸裂したといわれています。

その被害は、原子爆弾が放った爆風と熱線により、建造物が一瞬にして破壊され、熱線による火災で広島は火の海と化しました。

原爆ドームの楕円の筒形をなす塔屋状の階段室は、小型で堅牢なレンガ壁のおかげで、原爆の衝撃に耐え、残りました。湾曲を繰り返す左右のレンガ壁は、水平の力にもある程度耐えることができましたが、半壊状態となりました。

背後に大きく広がるレンガ壁は支えるものがなく、もろくも倒壊しました。天然スレート板を葺いた屋根は木造で、また各階の床も木造だったため、衝撃波などで破壊され、火災によって消失しました。

戦後、鉄骨がむき出しとなった広島県産業奨励館は、広島市民のあいだで原爆ドームと呼ばれるようになり日本全国でもその呼び名で知られております。


それではまた。阿加井秀樹


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