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阿加井秀樹が紹介する旧集成館機械工場

みなさんこんにちは。阿加井秀樹です。

今まで鹿児島の集成館にまつわる世界遺産をいくつかご紹介させていただきましたが、外せない世界遺産をご紹介させていただきます。

旧集成館機械工場です。

11代薩摩藩主島津斉彬は1858年8月に49歳で亡くなり、その後1863年に薩英戦争が勃発、世界最強といわれたイギリス海軍の艦隊が錦江湾に攻め入ります。


城下や集成館など領地の1割を消失してしまう甚大な被害をこうむりますが、イギリス艦隊は艦長や多くの犠牲者を出したことから途中で撤退することになり、当時のニューヨーク・タイムス紙が日本人の勇敢さを称えた記事を掲載するほどの事件となります。


12代藩主忠義は薩英戦争によって多くを失いますが、3ヵ月後には復興に着手し1865年に機械工場を完成させます。


そして、技術鎖国から抜け出せないままの反対者を押し切り、オランダやイギリスから輸入した機械や道具を使って蒸気機関を用い、金属加工や船舶装備品など様々な部品をこの工場から作り出していきます。



洋式の機械を動かす技術、支える和の石工と大工の仕事、その現場を見ることができる。

集成館消失の教訓を活かした機械工場は堅牢にできており、長さ78.2m、高さ5m、奥行き幅13.6m、壁の厚さ60cm、窓の数51、屋根は小屋組みトラス設計で他に類を見ない洋式工場建築物でした。


外壁は石材を積み重ねて作られたことからストーンハウスとも呼ばれました。

内部天井は機械類を支える梁や柱が工夫して作られ、アーチ式門や窓の石工の技術の高さが見られる一方、木造建築しか手掛けた事のない大工達の戸惑いの片鱗が見て取れます。


石壁と木材を組み合わせて造られた現存する日本最古の洋式工場としても有名です。


それではまた。

阿加井秀樹

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