今なら答えが出せそう
いつの間にか秋が通り過ぎようとしている。
過去の話をしよう。
ここにも書いたかもしれない。
10年近く前、二十歳になった私が初めてお付き合いした人は、もう記憶もあやふやになってきたけれどモラハラをする人だったと思う。
今だから言うけれど、好きではなかった。
見知った男友達とは違って、少し新鮮な気持ちもあったのかもしれない。好意を向けられることそのものが甘美で、自尊心をくすぐられた。
そして焦りもあった。
もうティーンエイジャーでもないのに、人を選んで交際の有無を考えるのは野暮なのではないか。
ものは経験だと。軽い気持ちでいた。
すでに、その時点でその人との終わりを考えていた。経験数を稼いで経験値を得たいと、その為の初めの一歩なのだと、勝手に自分で決め付けてしまった。
今もその節はあるが、何事も実験のような気持ちでいた。飛び込んでしまえばあとはなんとでもなるし、あかんかったらサヨナラすれば良いだけ。
きっとあの時のあの人が初めての彼氏でなくても、他の人が初めての人だったとしても、きっと同じ道を歩んでいる気がする。
初めから私は人を信用せず、見下し、蔑ろにしていたんだ。
今だから分かる。
他人は、自身の心を映した鏡だという。
当時、私はあの人に何度も「私を信じて」と呼び掛けていたけれど、その言葉こそ嘘だったんだ。
裏を返してみると、「私はあなたを信じられない」「あなたが私を信じてくれたら、信用しても良いよ」という、烏滸がましい取引をしていたのだ。
その裏側の意図まで相手が汲み取っていたのかは分からないけれど、だからこそ私たちはどんどん泥沼に嵌ってしまった。
私には当時、本来であれば二つの選択肢しかなかった。
己の浅はかさを謝罪して、キッパリと別れるか。
相手は自分の鏡なのだと認識して、きちんと向き合い続けるか。
私は、自分のことが大嫌いだった。
容姿も性格も声も思考も喋り方もなにもかもが気に入らなくて、自分を好む人に好意を覚えられなかった。
これも分かりやすい鏡だ。
私が私のことを好きでさえいれば、もっと素直に心を表現できたのだろうと思う。
私は自分の心に大きなトラウマを植え付けられたのだと憤っていたけれど、本当は、トラウマなんてなかった。
あったのは、自分を認められない自分だった。
自分が嫌いだから、こんな目に遭うのだと。
こんな悲惨な思いをしなければいけない自分なんて、無価値だ。死んでしまえばいい。
私が許せなかったのはあの人じゃない。あの人と築いた不毛な時間でもない。
私自身だったんだ。
そのことに気づくと、なんだか、不思議な気持ちになった。
私は、元からあの人を憎んでなどいなかった。
許せないと豪語したのは、自分自身のことだったんだから。
確かにあの人との関わりで嫌な思いはたくさんしたけれど、それもこれも私が私を気に入らなくて、自分の中に確固たる芯がなくて、自分に向き合わずに逃げ続けていたから。
あの人はそんな私の鏡として、「ちゃんと向き合え」と言わんばかりに、主張をしてきたに過ぎない。
結局その場からも逃げ出したのだから、何も解決しなかった。
己の存在価値を何度も何度も問いかけて、自分の価値を見失い、発作を起こしてのたうち回るという、なんとも醜くて哀れなことをしていた。
自分のことが嫌いな私なのだから、そんな思いをして当然なのだと、私は私を虐め抜いて、虐め抜いている自分に酔いしれた。
自分を悲劇のヒロインにしたがったのは、紛れもなく自分だったんだ。
あれから10年以上が過ぎて、30を迎えてからは少し思考が第三者的になった。
第三者的と言いつつも、自分と真正面から向き合うことにしたのだ。
とても簡単なことだった。さながら、自分が幼児くらいの子供の頃にかえったような単純さ。
今感じている感情は「快」か「不快」か。
それを事あるごとに感じ取ることにした。
「快」であれば、その気持ちにぐっと浸る。
「不快」であれば、その理由を言語化し、深く掘り下げる。
あくまで自分の心に向き合った。意識が外に向こうとしても、「じゃあ、私はどうしたかったの?」と尋ねた。
おそらく、これはインナーチャイルドへの問いかけのようなものだと思う。
私はしばしば「子供のままでいたい」と思っていた。けれどこれは本心で、「子供の私が何も答えを出せないまま、時間ばかりが過ぎていく」ことに恐れを抱いたのだ。
だから、一つ一つ問いかける。
子供の自分と、今生きる大人の自分を少しずつすり合わせて、ぽっかり空いてしまった時間の隙間を埋めていく。
許せないことがたくさんあった。
でも、その許せない気持ちがどこに向かっているのか。
心の向く方向、ベクトルを見極めて、自分に対して納得のいく言葉をかけ続けた。
そうしていくうちに、私は、私のままで良いのだと納得した。
時間はかかったけれど、私は私のことを心から大事に思っていたし、なんならめちゃくちゃ好きなのだと分かった。
私は、私自身に愛されて良い存在だったのだと気づいた。なんだか少し照れくさい言い方ではあるけれど。
そして、そのことに気づいたと同時に、トラウマだと思っていた事柄や、一生許せないと思っていたあの人に対して、もうなんの感情も湧かなくなっていたことに気づいた。
やっと、私は元の場所に帰ってきたのだと。
やっと、帰ってこれたのだと。
長い旅だった。今ようやく、気持ちが幸せを向こうとしてる。
おわり。
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