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映画祭のマネジメントの研究7:映画祭の世界史〜大規模映画祭の誕生と地域映画祭の多様化

第2期(1950年代)

映画祭の発展段階の第2期は1950年代です。この時期は、各地で強い政治力を持つ政府や民族と結びつきながら、同時に映画界の商業的な成功をも視野に入れて映画祭が開催されていた時期です。

映画祭の増加に伴い、映画祭間の調整が必要となったため、国際映画製作者連盟は1950年に映画祭に関する規定を整備しました。そして、1950年代には大規模な国際映画祭が創設されるようになっていきました。

1951年にはドイツでベルリン国際映画祭、1953年にはスペインのバスク地方でサンセバスチャン国際映画祭、1959年には旧ソビエト社会主義共和国連邦でモスクワ国際映画祭が開始されました。これらの映画祭はいずれも都市型の映画祭であり、従来のリゾート型映画祭とは異なる着想で開始されたものです。

ベルリン国際映画祭は、英国陸軍の法律顧問とベルリン駐在の米国士官によって始められた映画祭です。自由主義諸国の豊かな文化を賛美するという政治的側面があります。当初から西側の文化政策の一環として始まり、主催が西ベルリン市であったため、西ベルリンを東ベルリン市の一地区としてしか認めなかったソ連をはじめ、東側諸国は最初、参加を拒否しました。しかし、1975年からはコンペティションに東側諸国も参加するようになり、国際映画祭としての体裁が整いました。

サンセバスチャン国際映画祭は、特殊性を持ったスペイン・バスク地方の民族的なアピール、モスクワ映画祭は社会主義国の代表という側面があります。モスクワ映画祭は、ソ連邦国家映画委員会の主導で、映画人同盟が参加して実施され、参加国数、参加映画本数ともに世界最大を誇りました。ソ連邦の崩壊後はロシア連邦に受け継がれましたが、経済力の低下、映画行政の混乱などにより変則的な開催となりました。しかし、2000年からは毎年の開催となりました。

映画祭はヨーロッパを中心に普及していき、アメリカ大陸やアジア、アフリカに波及しました。ただ、アカデミー賞を創設したアメリカ合衆国ではヨーロッパに見られるような国際映画祭が発達しませんでした。

第3期(1960年代~1970年代後半)

第3期は1960年代から1970年代後半です。この時期は映画祭の目的として映画振興が意識されるようになり、映画祭の開催主体は国家から地域、地方自治体といったように、より小さな単位に移行していきました。

1960年代以降、映画産業に衰退が見られるようになってきたため、それに伴って映画祭の目的や形態も変化しました。また、ドキュメンタリーやアニメーション、ファンタスティック映画といったように、特定のジャンルに限定した映画祭も出現するようになりました。

例えば、アヌシー国際アニメーション映画祭は、1960年にカンヌ国際映画祭からアニメーション部門を独立させて設立されたアニメーション専門の映画祭です。また、1968年に創設されたスペインのシッチェス・カタロニア映画祭(当初はシッチェス国際ファンタスティック映画祭)や、1973年に創設されたフランスのアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭は、ホラー映画を中心とした映画祭です。

第4期(1970年代後半~1990年代)

第4期は1970年代後半から1990年代です。この時期には多くの短編映画祭(ショートフィルムフェスティバル)が開始されたとともに、特定の地域の映画を扱う映画祭も数多く創設されました。

欧州を中心に、短編映画祭が数多く開催されるようになり、若手監督の実験や発表の場として大きな役割を果たすようになっていきました。

例えば、1979年には米国コロラド州でアスペン映画祭が開始され、1991年にはオーストラリアのシドニー近郊のボンダイビーチでフリッカーフェスト国際短編映画祭が開催されるようになりました。

また、特定の地域の映画を扱う映画祭も数多く創設されるようになりました。例えば、アジア映画の特集部門を擁する映画祭としては、1977年に香港国際映画祭、1979年にナント三大陸映画祭、1981年にハワイ国際映画祭、などが開始されたのです。

さらに、1990年代に入ってからも、1988年にシンガポール国際映画祭、1993年に上海国際映画祭、1996年に釜山国際映画祭などが開始されました。

第5期(2000年代以降)

第5期は2000年代以降です。ビデオカメラの普及と短編映画祭の増加によって、これまではプロあるいはプロ志向のクリエーターの作品の応募が中心であった映画祭に、アマチュアが参加できるようになっていきました。アマチュアの映像作家の増加を背景として、2000年代以降は、アマチュア対象の映画祭も生まれてくるようになったのです。

また、インターネットの普及と技術の進歩により、インターネット上での映画祭が創設されるようになりました。これはインターネット上で映像作品を募集し、ストリーミングによって配信し、審査を行うもので、特定の場所と特定の時間を問わない映画祭であるといえます。

インターネット映画祭として、例えばフランスが中心のプレアデス国際短編映画祭や米国のサンダンス・オンライン映画祭などが生まれました。

映画祭の多国籍化も行われており、例えば、2001年9月11日のテロで被害を受けた地域の復興を応援しようと2002年に開始されたニューヨークのトライベッカ映画祭は中東に進出し、2009年10月に中東のカタールでドーハ・トライベッカ映画祭が開始されました。

子供向け映画の祭典としては欧州で最古のものだといわれるチェコのズリーン青少年国際映画祭は、2009年に初めて国外に進出し、ニューヨークで映画祭を開催しました。

また、ロンドンで創始されたデジタル映像祭ワンドットゼロは世界60都市以上で開催され、ニューヨークのアジアン・アメリカン国際映画祭も2007年に30周年を記念して香港とマカオで開催しました。

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