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映画祭のマネジメントの研究5:ジャンル型映画祭と地域映画祭の組み合わせ

ジャンル型映画祭と地域映画祭の組み合わせ

ジャンル型映画祭と地域映画祭とを組み合わせたコンセプトで実施された映画祭としては、フランスのパブリックシステムシネマ社が企画した一連の映画祭が事例としてあげられます。

パブリックシステムシネマは、1998年からユーロネクスト市場に上場しているフランスの広告代理店パブリックシステムの子会社で、映画祭の企画やオーガナイズの他に、広報やプロモーションなどを手掛けています。

現在は、休止したり、消滅してしまったりしている映画祭もありますが、パブリックシステムシネマが企画した映画祭の中から5つの事例をみていきましょう。

アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭

同社が手掛けた代表的な映画祭として、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭があげられます。この映画祭は1973年から1993年までフランスのアヴォリアッツで開催されていた映画祭です。パブリックシステムシネマは1973年から1984年まで、この映画祭の企画と運営を手掛けてきました。

この映画祭に関して、クライアントからパブリックシステムシネマに突き付けられた課題は、新たなスキーリゾートをオープンさせるために明確なイメージを確立して欲しいというものでした。

これに対して、パブリックシステムシネマは、1)ファンタジー映画祭を開催し、未来的なデザイン・コンセプトを打ち出す。2)1月下旬に開催し、アヴォリアッツを「冬のカンヌ映画祭」に仕立てる。3)開始当初から、審査員、メディア、世論形成者、一般の人々が交じり合うように仕向け、全体として知的で色彩豊かなるつぼを生み出す、といったコンセプトの映画祭を企画しました。

こうしたコンセプトを受けて、1973年に映画祭が創設されました。そして、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭は、単なるプロモーション・イベントに終わらず、時代を先導する新しいコンセプトの映画祭に成長したのです。

しかし、1993年に映画祭は中止となってしまいました。パブリックシステムシネマ代表取締役のリオネル・シュシャンは、「映画祭は1993年まで開催されましたが、この年、これ以上、投資する理由はないという理由で売却されました。アヴォリアッツはフランスならびにヨーロッパにおいて、最も有名でトレンディーなスキーリゾートとなりました。映画祭は一つのイメージ作りに寄与したといえます」と説明しています。

ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭

ジェラルメ国際ファンタスティカ映画祭は、フランスのジェラルメで開催されているファンタジー・スリラー・ホラー専門の国際映画祭です。1993年に終了したアヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭が前身となり、このコンセプトを引き継ぐ形で、パブリックシステムシネマが企画しました。1994年に創設され、1996年からはジュラルメで毎年1月の終わりから2月の始めにかけて開かれています。映画祭の開催により、住民の連帯感を醸成することができたといいます。

ドーヴィル・アメリカ映画祭

ドーヴィル・アメリカ映画祭は、1975年からフランス・カルヴァドス県のリゾート地であるドーヴィルで行われているアメリカ映画をテーマにした映画祭です。パブリックシステムシネマに提起された課題は、第二次世界大戦以後、衰退していた高級海岸リゾートの魅力と名声の回復を図るということでした。そして、ヨーロッパと米国の両方でプロモーションを行うということとが求められました。これに対して、パブリックシステムシネマは、アメリカ映画ファンが毎年結集する場を確立することにしました。

当時、米国には世界中で最も才能が豊かで、多様な映画製作者が集まっていたからです。そのために、初上映や特集上映を呼び物に、過去10年間の作品コンペティションとしてインディーズ映画を上映しました。これによって、新旧の多くの映画俳優をドーヴィルに招聘することができました。

シュシャンは、「アメリカ映画祭のおかげで、ドーヴィルはトレンディーかつスタイリッシュなリゾート地としての地位を取り戻し、戦前のイメージを回復することができました。シーズン開幕を告げる見過ごせない究極の映画祭として、政治家や実業家も集う華やかなイベントへと成長したのです。その結果、市は会議場を開設、関連の設備を整備しました」と説明しています。

コニャック国際ミステリー映画祭

また、コニャック国際ミステリー映画祭は1982年から2007年までフランスのコニャックで開催されていた映画祭です。パブリックシステムシネマの直接のクライアントは、国立コニャック生産者協会でした。同地域の主要産物であるブランデーのコニャックがそのイメージと消費量の面で徐々に人気を落としていることが問題となっていたのです。

これに対して、パブリックシステムシネマは、時代にあったファッショナブルな製品としてコニャックの人気回復を支援するため、格調高く、高級感のある年次イベントを企画しました。製品名として地名が冠されていれば、その効果は倍増するからです。ミステリー小説やスリラー映画の中で象徴的なブランデーを想起させるため、スリラーをテーマに設定しました。

企画段階では、映画祭はPR、プロモーション戦略に基づいて実施していく予定でした。まず、第1目標として、ファッショナブルなイメージを取り戻し、次に第2目標として、売り上げの向上を目標として設定しました。

今日では法律によって酒造業者が自由に広告を行うことができない国が存在するため、そうした国では、映画祭は、酒造業者にとってメディアや世論形成者などを呼び集め、メッセージを発信する貴重な機会となっています。

アマゾナス映画祭

アマゾナス映画祭は、2004年にブラジルのアマゾナス州のマナウスで始まった映画祭です。同映画祭は政治的な意味合いの著しく強い映画祭でした。パブリックシステムシネマが打ち出した戦略は、次のようなものでした。1)アマゾナス州の政治家に対して、アマゾン川流域の森林破壊という重要な主題について訴える機会を提供する。2)映画産業を活用してメッセージを伝達し、映画祭に招かれた全員(映画製作者、プロデューサー、俳優、映画雑誌関係者)にこの問題についての大使になってもらう。3)映画・テレビのロケ地として、アマゾンが持つ大きな可能性を強調する。4)世界中に、この地域への観光やエコツーリズムを促進する。5)アドベンチャーの究極のシンボルであるアマゾナス州の州都において、アドベンチャー映画祭を実施し、冒険映画や民族、動物に関連するテーマの映画を上映する。

以上、パブリックシステムシネマが企画した5つの映画祭をケースとして取り上げました。このように、上映作品のジャンルをどうするかという視点と開催地がどこかという視点との組み合わせは、映画祭のマーケティングにおいて、重要な要因の一つとなっています。

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