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リストラに向き合った薄っすら涙オヤジからの命令書

 他人の不幸を本人よりも先に知る。これほど恐いことはない。彼らは長年奉公した会社を去ることになる。定年退職までのカウントダウンを笑顔で始めた者もいるだろう。「老後は夫婦で全国旅行」そんなベタな夢どころか世界一周旅行も可能な年収と退職金の権利を得ていた。

 このまま、ここで、勤め上げれば。

 彼らはリストラ対象になったことを知らない。知っているのは、彼らが人生をかけて勤務する大手家電メーカーの幹部、そして「ちっぽけ」な会社で人材ビジネスを担当する数名のみである。
 大手家電メーカーからFAXされた庶民が平伏すレベルの役職と学歴が列挙された社員リストが、「ちっぽけ」な会社の中でもさらに若造と呼ばれるボクの手元にあった。

 「なんですか、これ」

 バブル崩壊の後遺症がジワジワと出てきた2000年前後、人材ビジネスに携わる者の間でアウトプレースメント、通称OPという用語が飛び交うようになった。
 「クライアントのリストラ対象者だ。君にはOPの手伝いをしてもらうよ」
 企業から委託を請けて、彼らを再教育し「引き取り先」を開拓する。千人単位の部下を率いてきた強者もいる。彼らに対して、パソコンをカチャカチャ教えて面接に行かせる仕事だ。
 OPは普通、若造にお鉢は回ってこない。「年齢」のせいで高齢の彼らから信用されないという事実もあるが、心が廃れる仕事というのが真実である。若造は、不況下でも唯一元気であるネットベンチャーとのコネクションがあったから抜擢された。それに既に心は廃れていて、いや冷え切っていた。

 一ヶ月後。奉公先から死の宣告を受けた彼らが研修を受けにきた。

 「ウチの会社が開発したパソコンだ」と、嬉しそうに話す彼ら。
 「残念ですが、もうウチの会社ではありません」若造が冷たく言い放つ。
 「この野郎!」言葉に出さぬまでもオヤジ達の怒り狂った感情がレクチャールームを包み込む。上司が軽く睨みつけた。ボクではない、彼らをだ。

 一人のオヤジだけ目に薄っすら涙を浮かべた。

 「若造、見たよな」
 「はい。国際事業部、元・部長ですよね」
 「今のところ、彼だけか」

 自分達の会社が開発し誇りに思っていたパソコンの使い方を学ぶ彼ら。パソコンスキルはなくともビジネス能力と経験はある。すさまじい程に。なぜリストラされたか。単純だ。部門閉鎖。部門が消えれば優秀な部門長でも不要になる。彼らは決して「使えない人材」ではない、「職場」が消滅した、ただそれだけ。

 薄っすら涙を浮かべたオヤジが面接に進んだ。OPは面接に同行する義務はないが一緒に行った、クライアントがボクのお得意様だったから。

 帰り道。
 「今日はありがとう。心強かったよ。君は何年目だ?」
 「新卒二年目です」
 「二年目か…。そんな新人とは、前の会社では話したこともなかったな」
 「『前』の会社を恨んでいますか」
 「いや、自分を恨んでいる。これでも製品を海外に売ってきた男だ。そこにはプライドがある。だが、切られた、どこかに奢(おご)りがあったんだろう。貢献してきたから干されることはないと…」

 薄っすら涙を浮かべたオヤジ。

 「私からも聞かせてくれ。人材ビジネスとやらがよくわからん、何も造っていないのに稼げるのか」
   「ボク、実は人材派遣業がメーンです。今は年間三億円弱の労働市場を開拓していて、八割はスタッフさん、実際に働いてくださる方に渡っています。二割は…」
  「待て、すると少なくとも二億円分の雇用を作っていることになるか」
 オヤジの目つきが急に変りビジネスマンの顔になった。鋭い。きっと「前」の会社ではこんな雰囲気だったんだろう。
 「はい。ざっくりと言えば」
 「新卒二年目の若造がひとりで二億。二億円の人件費予算を持っている部署と同じだよな。そんな世界があるのか、製造業しか知らない私には刺激的だ、実に面白い」

 「もっと面白い職業はありますよ」
 「そうか…。なあー若造、今日面接に行ったネットベンチャーって伸びるのか」
 「さあー。でもインターネットは伸びます、間違いなく」
 「根拠はあるのか」
 「パソコンを世に広めてくれたじゃないですか、あなた方が」
 「そうか、そうだったな」

 数秒間沈黙したあと、薄っすら涙オヤジに戻った。

 「なあー若造、部下が気になる。次は決まったのか」
 「苦戦しています。彼らはまだ過去の中にいます」
 「私が教え込んだからな。会社が世の中の全てだってね、前の会社が」
 「どうしていいのか、わからないでしょうね」

 翌日、彼から手紙がきた。部下へ渡して欲しいと。「もう彼らは部下じゃないのに」と苦笑しながら553枚コピーした。原本はボクの胸ポケットにしまった。

 「また新しい世界を創ろう。前を向いて涙しよう」オヤジから部下への最後の命令。以後、ボクの職業人生を支える言葉にもなった。

 先人が流した涙の上に社会がある。ボクらは生きている。

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