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学生服は好きですか?

はい、好きです。

といっても、制服にまとわりつくフェティシズムの概念や、ファッション文化としての学生服ではなく、
服の造形美に込められた各学校の考え方、というもの惹かれるところがある。

小学生のころは漫画家になりたかった自分だったが、もちろん10歳そこらの子どもが人体ポーズ集などを買って練習することは叶わなかった。
そこで目をつけたのが、塾にあった学校受験案内の、制服着用モデルの写真。
最初は人間らしく絵を描く練習をしていたはずだった。
しかし、最終的には表層たる学生服のディティールの違いに魅了されていった。

例えば「セーラー服」ひとつとっても、
胸当ての布はあるのか、
襟ぐりの位置は高いか低いか、
襟のラインは丸いか直線的か、
胸元を飾るのはスカーフかリボンか、
リボンの太さや色はどのようなものか、
などなど、学校によって様々である。
「セーラー服の学校」ひとつとっても、その造形とそこに込められた考えを追求すればするほど、比較文化論か何かの論文が書けそうである。
かの「セーラー服を脱がさないで」に出てくる学生服も、もしかしたら歌詞を分析した上で再現できるかもしれない(誰も得をしなさそうだが)。

他にも、ブレザーは襟の太さやリボン・ネクタイ類の柄や種類、ボトムのデザインでだいぶ印象が変わる。
一方で、詰襟学生服は「標準型」という全国統一規格があるので、どれも同じに見えるし、その画一感を求められていた時代もあった。
手堅くまとめるか、学校の個性を爆発させるのか。
模索を繰り返す学校と、流行りに無関心な学校と。
ポストコギャル文化とも言える90〜00年代に小中学生だった私は、
学校ごとに揺らぐ考え方、スクールアイデンティティを、制服というフィルターを通して透かし見ていた。

さて、制服着用モデルを下敷きにした自分の人体イラスト練習は、結局上達しなかった。
高校生になって森伸之さんの「女子高制服図鑑」の存在を知り、その内容の緻密さに圧倒されたと同時に、
「実際の着こなし・着崩し方」までに注目すべく、街に出てスケッチを重ねた氏の執念に、心のなかで完敗宣言した。
私は学校の用意したおあつらえの写真をなぞっていただけだから、自分は中途半端にしか絵が描けなかった。
各学校の思いを汲み取れていなかったし、それを着る実際の学生の様子なんて興味がなかった。
加えて写真を見ただけで人体イラストの練習だというのだから、見当外れも重ね重ねだった。
自分の空想の中で完結した手習いであった。

大人になり、実家の整理をした時に、昔漫画の練習として描いていた絵がたくさん出てきた。
その中には「僕の考えた最強の学生服」と言わんばかりに、奇をてらったファッション画もどきが紛れていた。
恥ずかしくなったので他の絵とともに処分したが、あのときの自分は制服をもって青春を模索できる場所、
たとえば「学校」に憧れていたのかもしれない。

「学校」という存在に執着していたのかもしれない。

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