隣の家のお稲荷さんを食べる方法【後編】

前回のつづき。(上記の前編を読んだ方は、前編は読みとばしていただければと。)

ある日の休日、お昼頃目が覚めた私は、天気が良いので起きがけでぼさぼさの頭で寝巻きのまま庭へ出てみた。季節は春。気持ちいいことだろう。またこの、無防備のゆるゆるの格好のまま、まどろむのも気持ちがよい。(他人にとっては景観汚しかもしれないが)
さらには、庭のブロックの穴にシジュウカラが巣を作ったので、様子も見ようということで、一応携帯も手に持った。

シジュウカラ居ました。もう大きくなっている。5、6匹は居るのではと。
巣立ちの時は近いかもしれない。上から覗くと上を向いて口を開けキャーキャー鳴いている。親鳥が何分おきかに、餌を運んで与えているのだ。我も我もと上を向いて口を開けている姿には、毎回若干引いてしまうが、親鳥じゃないと分かると、声を潜めてじーっとしてするのが、かわいかった。
羽のふわふわの感じ。全体的にまるっこい鳥たち。襲われないようにじぃーっとしている感じ、などなど十分愛でたところで、自分もすごく腹が減っていることに気づく。

ああ、もうお昼なんだ。ブランチだな。何食べよう。
すると、くだんのお隣の独居老人の大きな声が聞こえてきた。

「今、たくさんお稲荷さん作ったから、家に来なー。」

お友だちに電話しているようだ。

ああ、私もお稲荷さん食べたい。
というか、なにより、お稲荷さんは私の好きな食べ物ベスト3の中に確実に入っている好物なのだ。

どうすれば、この、ものの5メートル先の目と鼻の先にある、お隣さんのお稲荷さんをいただけるのか。

「あ、どうも、おはようございます。私、今起きたところで、、今たまたま聞こえちゃったんですけど、お稲荷さんですか。よさそうですね。」

などとしらじらしく声をかけるのか。

んー、そこまではできん。

いや、きっと声をかけたら、むしろ喜んでくれそうな気はする。

ところで、私は、こじんまりとした小さなカフェを一人でやっている。
一方で重度のカフェマニアでもあったりする。東京時代は、東京でおそらく行ったことがないカフェはないほど、行きたおしていた。東京だけでは飽き足らず、出張の際には、わざと一泊多くして、仕事の合間に地方のカフェを巡ったりなどもしていた。

住んでいるところの近くに、行きつけのカフェもあったのだけれど、一般的に言う“行きつけ”というと、一人でふらっと行っても、顔なじみでオーナーや店員さんと楽しく談笑するような感じを想像するだろうが、私の場合、全く違う。
お店の人とはほとんど仲良くはならない。というか仲良くなれない。別に決めているわけでも、嫌なわけでもない。そのお店が好きで、そのお店のコーヒーやメニューが大好きだったとしても、店主に話しかけて、いろいろお店のことを聞いたり、コーヒーのことを聞いたりできない。
コーヒーに感動しても、美味しいですね、このコーヒーとか言えない。

これは、好きな人に好きと言えないのに似ているかもしれない。素直さがないのかもしれない。

例えば、自分が「美味しいですね」言ったところをイメージしてみる。
客観的に「うそくさい」と感じてしまう。その店主に、こんなに感動している私の気持ちを伝えるのは難しいかも。
では、熱く、説得力をもたせつつ、いかにあなたの淹れたコーヒーが美味しいかを語るのはどうだろう。イメージしてみる。
これでは、「やばい奴きた」と思われる。

難しい。そんな妄想をしながら、いつも何も言わずにカフェを出る。

お店を始めて、仲良くなったお客さんも多い。遊びに出かけたり、LINEを交換したりも。

だから、うちの店に来て、いろいろ話をしてくれたり、褒めてくれたり、お土産をくれたり、というお客さんが羨ましい。なぜそんなりするりと店主の関係を自然な形で構築できるのだろう。

きっとそれができたら、隣の家のお稲荷さんを食べることもできるのだろうと思う。




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