老いた尊敬していた母と父

 僕の昔話をしよう。かつて僕は母を尊敬していたし、息子の僕を無視している父親が嫌いだったのだ。

 父性に飢え、年上の同性の人間に尊敬に足る人間を探していた30年だった。母は父を指して「あの人の分まで私が父親の代わりをしないとね」と呆れながらも気長に父の改心を待っていた。結論から言うと「人は改心できない」ということだ。この僕ですら父を反面教師にして父の劣化コピーになっていた時は絶望すらしていたのだ。父が反省などするわけがないのだ。母はそんな夫に絶望していたのだろう。

 だが、更に齢を重ねて男性としてジェンダーロールを行えくなると、今度は母の言い分、特に女性の事情などがウンザリして辟易していた。

 ある日母は僕に「男としては魅力を感じない」と言い放った。これを少年時に言われたにもかかわらずまだ根に持っているからこれがどんなに酷い暴言なのかわからない母の限界を僕は悟った。

 僕の言い分としては母の言うところの魅力ってやつが意味不明であり、次は母の魅力的な男性は誰か?というようなのを調べることにした。結論としては母は「若い頃に夢中になった海外の『ハンサム』男優を未だに追っかけをしている」というくらいだった。現実(的に存在しているほぼ全ての)の男性には殆ど興味がなく今はフィギュアスケートの羽生のYou Tubeばかり見ている。これを見て僕は「母を含めた女性のいう『魅力的な男性』ってやつ」の概念がほとほと唾棄すべき概念だと思うようになった

 ここで僕は、僕から見る父の評価が変節したのに気づいた。僕は幼いから母が絶望していたのだと思ったが、実のところ父こそが真っ先に母に絶望していたのだとすると腑に落ちた

 今のフェミニズムの惨憺たる現状は、20年前の母からの男として死刑宣告をされた僕の時のそのままに近い。女性(母)の要求はワールドクラスの男性(スーパーシークレットレア)と比較してどれだけ足りないか?というのをコモン男性に求める。そのほぼ全員が脱落するなか、生き残ってきたやつと法外な契約で”女性側が妥協に妥協を重ねて近づくことを許す”というやつだ。

 つまるところ、父は僕よりも先にそういう論理的な理由ではなく、直感で父性というジェンダーロールから真っ先に降りたわけだ。過去に時たま暴君になったりしていたがまあそこは常人の限界だろう。時代を先取りしていた、みたいなものだろう。よくよく考えれば僕は父を御使い代わりに使っていたが頼めば折れてくれたんだから、あの人の全てを憎むことはなかったと今になって思う。ブラック企業勤務で過労で倒れ、そうしてもう障害者の身になった僕に母は「それでも男なら働くしか無い」みたいな言い分をするのと、何も言わない、男らしさに関しては何も言及しない父と、今ではどっちがマシか?僕はもう何も期待してないから凪のような今はとても心地良い。

 

この世界に怨念を振りまく(理想:現状は愚痴ってるだけ)悪霊。浄化されずこの世に留まっている(意訳:死んでない)