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八月雑記

あまりの暑さに「帽子がほしいな」と思い、薦められてカンカン帽を買おうと思い、店に帽子が並んでいるのを見かけては軽く覗き、小さなリボンが付いているのを見つけて断念しているうちに夏が終わっていく。
去年の冬はマフラーを買いかえようと思い、緑色のいい感じのマフラーを探しているうちに春が来た。

夏は終わりを惜しまれて、冬は春の始まりに消されるのか。書いて改めて気づいた。

他の季節はどうだろう、と、変わり目にどちらに気持ちが向いているかを思い返してみた。

春の終わり<夏の始まり
夏の終わり>秋の始まり
秋の終わり<冬の始まり
冬の終わり<春の始まり

夏だけが始まりから終わりまで居る。ずるい。飛行機の真ん中の座席で肘置き両方使うやつだ。


妹に彼氏が出来たというLINEが母から来た日に、「公認インフルエンサーになりませんか?」というDMがメンズ美容エステから来た。
これは上手く組み立てればエピソードになりそうだと思ったが、そこから恋愛話になったらうっとおしいなと思って、やめた。

恋愛話をするのは恥ずかしい。極々たまに「好きなタイプは?」「この中で付き合うなら誰?」と訊かれたりする。考えようとすると頭にロックがかかる。人を恋愛対象として見れないのではなく自分を恋愛存在として見れない。『自分を女性として価値があると思っている』という前提で振舞わなければならない話題は全て苦痛だ。

人間として話したい。その鞄を選んだ理由を聞きたい。何かの由来をつくって語りたい。

恋愛話に触れるときは、話すにせよ聞くにせよ小さな嘘をつかねばならない。面白い嘘や面白くするための嘘ではなく守るための嘘。今だってそうだ。それが嫌なのかもしれない。


去年の11月頃から関わっていた仕事が今月で終わった。普段バイトで皿を洗って稼いでいる額の半分ほどの額を、雑学や豆知識を拾い集めてクイズにすることでいただいていた。正解のような不正解を考えるのが楽しかった。確実な不正解を探すのが大変だった。問題をお題とみなした大喜利はもっとやれた気がする。

妖精からもらった世界一小さな公園や、思い出の写真の数え方や、少しだけ手の届かないところにあるお菓子たちを知れてよかった。


支援していただけると嬉しいです。 きらきらの物を触って手にきらきらが付いたときくらい嬉しいです。