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岡田温司「芸術作品は有機体か?」

ゴンブリッチの戸惑い

絵画において、「有機的である」という言葉は褒め言葉であるといわれている。しかし、もともと無機物である絵画が有機物になぞらえ例えられるということは、辻褄のあわない比喩のようにも感じる。
そもそも絵画で言われている「比例」や「調和」ということばは、宇宙的で数学的な概念であると筆者は説明する。さらに筆者は、このような有機体のメタファーが、「国家や社会を有機体になぞらえてきた19世紀以来の危険な伝統を連想させる」と指摘している。
芸術作品の調和性は、生命あるものに比せられうることの起源はアリストテレス『詩学』までに遡る。そしてこの有機体的統一体というメタファーの危険性は、例えばナチズムにみられるようなレトリックによって顕著に立ち現れる。

「ジョット、非ジョット」

仮にこの芸術作品を有機体であることを「芸術有機体論」として呼ぶとする。その場合、筆者はここでジョットの作品例をもとに、調和や秩序、統一について述べている。

「芸術有機体説」?

このような「芸術有機体説」を理論として推し進めたのは、ドイツの美術史家ハンス・ゼードルマイヤー『中心の喪失』であろう。本書の定義は、当時流行していたアートの動向のキュビズムを非有機体的であると批判し、有機体的な純粋な表現と対立していくと提言した。

もうひとつの有機体モデル

その一方で、同時期フランスではアンリ・フォシヨン『かたちの生命』(1934)が出版される。
「まず、フォシヨンがあえて強調するのは、「複数の様式が、きわめて近接した地域においてさえ、あるいは同じひとつの地域においてさえ、同時に生命を持つことができる」といい、彼は複数の様式のあいだにある関係性について着目している。
ゼードルマイヤーが全体主義的であるとするならば、フォシヨンの思想は共和主義的なものである。

有機体から無機体へーベンヤミンの場合

これまでの思想に加えて筆者は、フォシヨンに繋がるようなイメージに似たベンヤミンを紹介する。ベンヤミンは博士論文『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』から『ドイツ悲劇の根源』、『パサージュ論』にかけて有機的なものから無機的なものとのへと思考をシフトさせている。筆者によれば、ベンヤミンの後期思考はある作品の断片をアレゴリーの表現として、「作品を壊死させ、死せる作品の中に、知見を移住させること」であるという。「芸術作品の中に、アレゴリーと断片、そして有機物のセックス・アピールを読み取ることによって、有機体論的イデオロギーを徐々に粉砕していくことになる」

「クラシック」と「バロック」のパラドクス

このようなベンヤミンの思想は1900年代のヴェルフリン『ルネサンスとバロック』から影響を受けたと言える。

ルネサンスとバロックの要点まとめ(箇条書き)
ルネサンス/バロック
線的/絵画的
平面的/深奥的
閉じられた形式/開かれた形式
多数的/統一的
絶対的明瞭性/相対的明瞭性

筆者は、ヴェルフェリンの「バロック」には、ある種のパラドクスが潜んでいるという。ヴェルフェリンのクラシックはバロックという存在(侵犯)が存在しない限り想定され得ないものだらかだ。ルネサンスとバロックは保管した関係であり、相互に依存し合っている。

ルネサンスにおける「構図」

また、ルネサンスの芸術は「有機体的統一」や「有機体的全対」と呼ばれてきたが、その概念に近いものは「構図」と呼ばれる概念であると岡田はいう。「構図」はアルベルティの『絵画論』(1432)に早くも登場する。
またアルベルティ『絵画論』を踏まえた、ヴァザーリ『芸術家列伝』(1550)において、彼はレオナルド以降の様式を分類している。その中でも最も優れているといわれる『美しきマニエラ』は、対立する概念の巧みな交差と絡み合いから生まれてくるものであると語る。(例えば「規則」と「破壊」、「尺度」と「優美」、「自然らしさ」と「人工性」)

「統一」、「中心」、「秩序」

しかし、宗教改革以降は「秩序」や「中心」「統一」といった思想シフトしていく。十六世紀以降、この思想はアカデミーへと新たに組み込まれ始める。宗教画に重要なのは、絵画における高度な技術よりも信者たちに明快に伝えるメッセージ性なのである。
ゆえに、ヴァザーリの伝える技巧はマニエリスムと呼ばれる。

絵画の病としての「マッキア」と「セミナ」理論

さらに筆者は、シミや汚れを語源とし、絵画がおかす罪や、病を意味する「マッキア」に着目する。ヴァザーリはティツィアーノの作品にマッキアの存在に気づく。例えば、筆捌きの「さりげなさ」や「機敏さ」などの線的な手業、痕跡感のことである。ヴァザーリにとっては、「マッキアの偶然性と物質性は、素描の精神と秩序を混乱させる危険性を秘めている」と危惧する。しかし、ティツィアーノは、このマッキアの輝きによってヴェネツィア絵画の真骨頂だと主張する。筆者は当時の医療が抱えていたセミナ理論を援用し、このような矛盾したものを取り入れ、新たな発展をさせようという思想が十六世紀の時代に流行したのではないかと考える。

パレルゴン

また同じく十六世紀の中頃「パレルゴン」という概念がイタリア芸術論において表面化している。「つまり、作品=仕事とその外部との関係性という問題」が自覚される。この「パレルガ」は、「全体と各部分の一致」と呼ばれる絵画の調和を轟かす存在としてみなされている。このようなマッキアやパレルがという、作品における「全体と部分との一致」を脅かす存在として捉えられ、この議論は政治的かつ司法的で、病理学的なひろいコンテクストの中で理解されなくてはならないと筆者は主張する。

「絵画=機械」説

機械論から有機体論の分離

またしばらくした17世紀のフランスでは、より絵画を機械的に仕上げるといった動向が主流となる。
またさらに、18世紀末から19世紀初めに、有機体論を機械論から分離させ、より高い位置におこうとする動向が起きる。これは生理学や生物学、進化論などの登場によってそれらと有機体論が結びつきながら、国家に限らず社会から芸術など様々な領域を拡大させていくことになる。
「シュミットによれば、ロマン主義の有機体論において国家の生成と芸術の創造とはほとんど同義とみなされている。」ここで学問の発展とともに有機体論は国家と芸術の至上なもの捉えられている。

都市有機体論と建築有機体論-イルデフォンソ・セルダの場合

最後に筆者は、都市と建築の有機体論に触れる。建築が有機体として例えられるのは、筆者は19世紀のスペインの建築家セルダであると考える。彼は「交通」と「伝達」こそ病理を抱えた人々を「治療」する「新しい文明に顕著な特徴」であるという。
「都市はこうした手段によって、移動と休息、住居と流通を組織化するものでなければならない」という。こうした思想のセルダは、過去の都市を「異種混交」のものと呼び批判する。そして「都市化と文明との間に常に保たれるべき健全な調和」を新たに打ち立てる必要があると説く。

以上のことから、有機体的メタファーとして芸術と有機体論と捉える見方は、国家や政治、あるいは司法的、医学的な言説と交差して成立してきた。このような歴史的な事実を意識化することは、私たちが容易くメタファーの陥穽にハマらないためにも必要なことではないだろうか、として章を終える。

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