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おすそわけ日記 260「さみしい私をゆるす」

子供の頃から、人形遊びと着せかえが好き。

五十年経っても変わらない。

これは、服が好きだからだと思っていた。


だが、今日、気づいてしまったのだ。

私は「淋しい」を表現するために着せかえをやっていることを。


着せかえゲームで、私はいつも伏せ目の女の子を作る。

もう十数年ずっと。

最初にそのことを母に指摘された時、儚げな印象が好き、と答えていた。


今日、ゲームをしながら、ふと疑問に思ったのが

「私、笑顔の子って作ったことあったっけ?」

ゲームの画面を開き、ここ数ヶ月で作った着せかえアートをチェックしてみた。


百五十近く作った内、笑顔の子がいる作品は五個もない。

まさか、ここまでとは。


着せかえアートで女の子を作っている時

私はよく「透き通った悲しみ」を念頭に置いている。


その悲しみの、更に奥にある感情は何だろう。

心の耳を澄ませてみた瞬間

一人で着せかえ遊びをしていた幼い自分の姿が浮かんだ。


小さい頃、祖母が置屋をやっていたせいもあり

私の周りには、いつも、沢山の大人が居た。

子供が珍しくて、みんなが可愛がってくれた。

思えば、私自身が人形のような存在だった。


祖母と母は働いていたので、曽祖父母が私の面倒を見てくれて。

時折、母が一緒にお絵かきやぬり絵をしてくれるのが、本当に嬉しかった。


あの時、私は、さみしいと口にしてはいけないと思っていた。

こんなに、みんなが傍に居てくれるんだから。

いや、本当は、さみしいと云うことがよくわからなかったのだと思う。

あまりに、さみしさを感じないようにし過ぎて。


淋しいと感じるようになったのは、いつからだろう。

人を好きになるようになってからだろうか。

それでも、未だに、淋しいと思うことに抵抗がある。


「さみしい私」を許すことが、きっと、私にとって大きな課題。


だから、着せかえに淋しいを託して、表現している。

少しずつ、自分の淋しさを、外に出している。

いつか笑顔の子を作れるようになれたらいい、なんて、実は思っていなくて。

思うままに、何百でも、淋しい女の子を作ればいい。


そうやって

さみしさは悪いことではないと

さみしくてもいいのだと

さみしい私を抱きしめていたい。

【今日の一枚】着せかえゲームで作った作品。スノーグローブの中の眠り姫。タイトルは、引きの構図が「陽の光も星の瞬きも届かない場所で。心安らかに眠れ。」涙をこぼす眠り姫のアップが「赦しの時間」

【#つづく日々に】のタグをつけて、日常で心ときめいたことを投稿中。日常のよろこびをみんなでシェアしあって、笑顔が増えたら嬉しいです。

今日もおつきあい頂いて、ありがとうございます。

毎日、書く歓びを感じていたい、書き続ける自分を信じていたいと願っています。