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香りを共感できたなら

今年も金木犀の季節が終わった。
気付いたら咲いていて、1週間も経たずして台風に持っていかれた。

『金木犀の香り』といって想像できるひとは何パーセントくらいなんだろうか。

先日好きなアーティストのラジオを聞いていた。
リスナーさんが 「沖縄には金木犀が咲かないので香りがわからない」と言っていた。

香りを説明しようと比喩を使って話していたけれど、やはり香りを体験したことがないリスナーさんはその香りの正解にはたどり着けない。

『知らない人に説明をする』ということはむずかしいのだ。

また、ある日も料理番組で「この香りをお届けできればいいのに」と言っていた。
イメージは膨らむ。
視覚から過去の経験を辿って、きっとこんな香りがしているんだろうなと。

でも、この料理を食べたことがない人だったら?
きっとイメージは膨らまない。

こういう感覚的な話をしていると、クオリアの話に行き着く。

クオリア
(英: qualia(複数形)、quale(単数形))とは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと[2]、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう[3]。日本語では感覚質(かんかくしつ)と訳される。
Wikipediaより引用


例えるならば 『〜な感じ』

マイナーコードのちょっと寂しいような感じ
毛布を触ったあの柔らかな感じ
冬みたいな感じの香り
…とか感覚の部分。

香りを感じるメカニズムとしてはWikipediaに以下のようなことが書かれていた。

分子レベルのメカニズムとしては、臭いは鼻腔の奥の嗅細胞において検知される。ここで鍵と鍵穴の仕組みで、レセプターに特定の分子が結合した際に、特定の香りが体験される。しかしながら、ある特定の形状の分子が、なぜある特定の香りをともなっているのか、まだ分かっていない。
Wikipediaより引用

これが解明できるようになったとしたら香りを共感できるようになるのだろうか。

また、例えば色盲のひとに 「赤色ってどんな色?」
と聞かれたらなんと答えればいいのだろうか。

色盲の人じゃなければ「夕日のような赤」「りんごのような赤」と説明することができますが、体験される質感そのものを言語化して伝えることは困難であり、不可能である。

でももっと考えてみると、もしかして今自分が見ているこの赤色は他の人からみたら緑色かもしれない。
「夕日のような赤」と説明して共感したつもりでいても、もしかしたら他人には夕日も緑色に見えている可能性があったりして…。
と考えると共感できているようで実はほとんどできていないのかもしれない。

フェルメール展にいって美術品と向き合ったらそんなことを考えてしまいました。

香りもだけど、色も形も。
感情を結び付けて共感できるのは今も、そしてこれからも実は、自分だけなのかもしれないですね。

#日記 #エッセイ #クオリア #共感

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