大人になった今、私達は絵日記を取り戻す
某社COOに「iPadとAppleペンシルはいいぞ」と勧められた結果、Paperアプリのお絵かきのUXがあまりにもよすぎて、定期的に愚にもつかない落書きをインターネットの大海に垂れ流している。
何が良いかというとまず「なんか落書きしよ」と思ったらすぐ開いてかけるところ。ソファに寝っ転がりつつでも、仕事の休憩中ちょっと、でもいい。これがペンタブなら、いちいち机に座ってPCを開いて・・・という段取りが発生するところを、華麗にすっ飛ばして落書きを始められる。そう、iPadならね。
なので、その時思いついたことやどうでも良い日常を、下手くそな絵で絵日記にしていくということを今後の日課にしようかなと思い立ったのです。
お前たちは覚えているか、小学校の夏休みを。
早く友達とプールに行って遊びたいのに、何故か書きたくもないカブトムシの交尾とかアサガオの成長する様子を無理やりジャポニカ学習帳に絵日記をとしてしたためさせられていたあの頃を。絵日記は、私たちにとって「夏休みの宿題」の忌まわしい記憶として心の奥深くに封印されている。
でも、それでいいのか?
本当はもっと下手な絵でも、卑猥な絵でも、くだらない絵でもいいから、その日感じた脳のイメージを視覚化するそのプロセスにこそ意味があるのではないか。
すごいそれっぽいこと言ったけど書いてるのは↑みたいなのでお察しです。
まあ下手でもなんでもいいから、視覚で記憶してアウトプットするのは結構いい脳の体操だと思うんですよね。まあ続けられる限り続けていこうとおもいます。
なおキャッチビジュアルの絵は、少しでもキャッチーなものにしようとおもった結果おっぱいになりました。おっぱいは正義。
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