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恥をかくのは怖いけど。


先日、恥ずかしいことがありました。


旦那である牢獄Pの作った曲のメロディとコードを楽譜に起こしていたのです。
要は耳コピをしていたんですね、曲中で鳴っている音を聴き取り再現すること。

iPadで楽譜ソフトを開き、スマホで原曲を流して、電子ピアノで音を探して。

一日かけて、難しかったけどこんなもんだろう、あとは作者に聴いてもらって少し修正すればいいかな、というところまで楽譜を書きまして。

夜、聞かせたんですよ、作者本人に。

そうしたら、
「かなり音外しているから俺の曲の打ち込みデータ見て修正してくれ」
……みたいなことを言われて。

えっ?!
そこまで間違ってるの?!
そりゃ私は耳コピは苦手だけど……
いや、実はそこまで間違えていないのでは……

と思いつつ、気になりすぎなので、急いで原曲の打ち込みのデータを即送ってもらいました。

確認したら。

普通に私が間違えまくっていましたよ、はい!!

そんな楽譜を作者本人に聴かせてしまったことと、自分の音感のなさに落ち込んで、じわじわと深く恥ずかしい!

そりゃ牢獄Pの曲、難しいとは思うけど、でもここまで間違ってることある?!
そしてこの楽譜をあと少し修正すればいいか、となぜ私は本気で思っていたのか?!

もう自分が嫌だーっ!と頭を抱えながら。

恥ずかしさの勢いで一晩で楽譜を修正しましたとさ……。


恥ずかしい出来事ってひきずってしまう。

恥ずかしいと思った瞬間、頭真っ白になって、とにかく逃げ出したくなります。

自分がとんでもなくダメでできない人間なのがバレてしまって、もう取り返しがつかない気分。
隠しておきたいところを見られてしまったような。

だから、恥をかくのが怖い。

でも、恥をかかなければ、できないことをできるようにはならないんですよね。ずっとできないまま。陰で努力してできるようになる可能性はあるけれど、それはかなりの遠回りです。


ふと気づいたのは。
ここまで恥ずかしさを感じる、ということは、私は「すごい人間」だと思われたい気持ちがあるのかもしれない。無意識のうちに。かなりの強さで。

すごい人間。そう思われることは、そんなに大切でしょうか。
ましてや本当は全然すごくないのに。

自分をすごい人間だと見せようとしている人より、多少できないことがある人や、自分の失敗を笑って話せる人のほうが、魅力的かもしれません。

最近の私の作編曲もそう、すでに経験があって理解ができることをやって、失敗しないようにしているところがあったように思います。
上手だねって思われたい、いや、下手くそだと思われたくない!

目指すところは、失敗のない音楽ではなく、魅力的な音楽なのではなかったか。


ということで、自分の恥ずかしかった失敗を笑って話せる人になろうと、その第一歩としてこの記事を書いています。

私、作曲やりはじめて10年以上経過してるのに、いまだに他者の曲のコピー、聴音や耳コピがめちゃくちゃ苦手なんですよね……。

一般的に、作曲をやってみたい人はまず既存曲のコピーをしよう、という話になるのですが、コピーが苦手なままオリジナル曲を書き始めて今日に至ります。

オリジナル曲は、私が完成だといえば完成だし、これが正解だといえばそれが正解なので、ある意味コピーより簡単だと思っています。コピーは原曲だけが正しいので、それ以外は間違いになってしまう。


それでも、さらっと音が取れたり、音をコピーしてカバー曲という形で表現できるのは、やっぱりかっこいいなあ!いいな!

そうなるためには、まだまだ恥をかくことになりそうですね……。


そして、先ほどの話の続き。

昨日、修正した楽譜を牢獄Pに聴かせたところ、
「歌メロパーフェクト!」
と言ってもらえました。

そりゃまあ、データ見ながら書いたから、なのですけど、うれしかったです。なんとか正しい音に辿り着けてよかった。

この歌メロを、今週末のオンライン作業会で編曲して、アレンジカバーを作ります。

上手な曲じゃなくていいから、やりたい表現が伝わるものを目指します。




今日は、過去に書いたこの曲の気分です。


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