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はじめて恋をした話

いくつの時だったかな。

父親が車の免許を取ってからのことだから、恐らく小学校1年生か2年生の時だったと思う。父親が「ドライブに行こう」と野幌森林公園に連れてきてくれた。それが百年記念塔との初対面である。駐車場から続く道を水の流れる階段を右手に見ながら天まで聳え立つ塔を口をぽかんとあけながら、見つめていた。塔というものをはじめて見たからではない。私の住む札幌にはテレビ塔というメジャーな建物がある。日々ローカルテレビで映し出されるし、雪まつりや買い物に大通に来た時は、必ずというくらい目に入る。テレビ塔については、いつ認識したかは覚えていないくらい日常生活にある塔だった。

しかし、百年記念塔は出会った瞬間から、目が釘付けになった。心に得体の知れない「ときめき」を感じた。おませな子だったので、好きな男の子や好きな芸能人はいたが、それとは違う感情だった記憶がある。好きという言葉をすっ飛ばしてしまう感情だった。

その数年後、父に「今度の日曜日にどこに行きたい?」と聞かれて、「高い建物のある公園」と答えた。野幌森林公園や百年記念塔の名称も言えなくて、必死に前に見た時の気持ちの説明をした。今思えば、恋をしたのが「塔」でよかった。これがリアルな人間だったら、恥ずかしくて言い出せなかったのではないだろうか。誰も恋の相手が「塔」だとは思わないだろう。私自身も大人になるまで、それが恋だとは思わなかった。

父が病に倒れ、連れて行ってもらうことが叶わなくなってから、合理的に堂々と「百年記念塔」に会いに行く方法はないかいろいろと考えた。今思えば、そうとうヤバい子である。そして、思いついた答えは記念塔の見える学校に進学するということ。我ながら突飛な発想だと思ったが、それと同時に名案すぎて、進学が楽しみになった。暗黒な中学時代も、その考えだけで乗り切ったといっても過言ではない。私の住んでいたエリアから記念塔まではバスに乗って、地下鉄に乗って、更にバスに乗るというハイレベルな乗り換えが必要。勿論、交通費がかかりすぎる。そのデメリットをどう補うか。手っ取り早い方法はバイトだった。長期休みの短期間で交通費を稼ぐ。記念塔そのものに貢いでいないが、見るための行動とはいえ、労働しているという可笑しさ。それでも、私は真剣だった。

記念塔の見える学校に進学してから、毎日が幸せだった。席替えで百年記念塔の見える窓側に座れば、ずっと眺めていた。よく物語で、窓際の席から走っている異性にきゅんとする、そういうのと同じ感覚だった。まさに高校生の青春ストーリーそのものだった。
球技大会の練習で校内に場所が取れないときは、記念塔の麓で練習することになっており、練習するところではなく、その姿ばかりを見ていた。
長期休みの午前中も積極的に補講に出るという真面目な学生であったが、それもすべて記念塔を見るためだった。高校3年間はそんな風に毎日眺めて充実した日々を過ごしていた。3年生になったとき、進路を考えたときに更に2年記念塔が見えるようなところに進学するか悩んだ結果、それはさすがに断念した。

それからは、記念塔の姿を見に行くことは年に1回くらいになった。他に気になる建造物ができたわけでもない。仕事で忙しくしている間に、片思いの純粋な気持ちは薄れていってしまった。あのキラキラした純粋な片思いは、若かったからできたものの類なのかもしれない。

記念塔の老朽化により建て壊しが決まったニュースを聞いたとき、胸が苦しくなった。初恋の人が病に倒れ、回復の可能性が低い闘病生活に入ったような感じだった。もちろん、そんな経験はない。勝手なイメージに過ぎない。

ここ数年、私の街は新陳代謝が盛んに進んでいる。中学生のころに入り浸っていたファッションビルは取り壊され、マニアックな商業施設もいくつか取り壊され、百貨店も取り壊された。新幹線延長とオリンピックのために街を新しくする必要があるという大義名分だ。建物が使いにくくなったり、エネルギー効率が悪くなったり、危険と判断されたり、大義名分とは違う『もっともらしい理由』がつけられる。

百年記念塔も老朽化で危険と判断された。ここ数年の突風や大雪などの自然災害は全国でも頻繁に起きている。100年に一度が数週間に一度のペースで来るような異常気象である。想定外の地震が起きたときのリスクはどれくらいになるか。不安要素があってそれを改善されなければ、人々に受け入れがたいものだろう。それと反して、50年間そこに居続けたことは、思い出や記憶になり、人々の心に住み着く。そこにないものができると景観論争が起きて、あるものがなくなるときには、取り壊し反対運動が起きる。象徴的な建物はそういう運命をおくるものだ。そういう運命だったのだ。この世にすべての現象は絶えず変化していくものである。平家物語はこの世を的確に表現している。悲しいけれども、そういうものだと思っている。不死身な人がいないように、普遍的なものはないのである。ただ、それが長いか短いか。
エッフェル塔は1889年に竣工している。東京タワーは1958年竣工している。札幌テレビ等は1959年。百年記念塔は1970年。施工技術の問題ではないと思っている。適切なメンテナンスがされてこなかったのが一番の原因だと思う。ほかの塔とは違い予算が取れない塔だから、短命になったのだろう。

好きな建物が定期的に適切なメンテナンスをされてこなかった。そういうことが悔しい。私ではどうすることもできなかった。もう、終わった恋だからというきれいごとでは片付けられないけれども。

だけど、百年記念塔との思い出は、私が生きている限り心に在り続けるのだ。これらの記念撮影とともに。

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