見出し画像

母というひと-072話

 母の「もう悪口は言わんけん」という懇願の約束は、もちろんあっさり破られた。

 そんなことは分かっていた。
 だって、言わないでいられるはずがない。何十年も夫の顔色ばかり見ながら生きてきたわけで、それが良くも悪くも全ての行動の基準になっている。自分で物事の判断ができない人間になっているのに離婚なんかしてしまって、その不安も丸ごと父のせいにされているのだから。

 ましてや事が起きてからは、24時間寝ても覚めてもひたすら怨みを募らせるばかり。
 少しでも気を紛らわせた方が良いよと、契約している有料テレビのリモコンの使い方を教えても、私が来れない時間に少しでも外へ行くようサークルへの復帰を勧めても、何ひとつしようとしない。花を一輪買ってきて飾ることすら「できん」「しきらん」「その気になれん」と却下するのだから、一分一秒たりとも父を怨む以外の何かに脳みそを使うなんて、できるわけがないのだ。

 もし今、誰かへの恨みで頭がおかしくなりそうになっている人がいたら、その相手と全く無関係の場所へ行って、共通の知り合いではない無関係の人と話して、その人を思い出さない何かを無理やりにでもしてみると良いよと言いたい。

 できないと思うかもしれない。できるはずがないと思っているのかもしれない。
 けど実は、そうさせているのは自分の脳みそだという事に気付いて欲しい。

 脳は、ひとつの事に固着したがる。
 そしてしつこくそれに粘着することを快楽の餌とする。

 試しに、憎んでいる相手の事を頭から閉め出してみるといい。
 もしもそれで、よりどころを失った様な寂しさや空虚さ、力がへなへなと抜けていくような喪失感を感じたりしたら、もしくは「面白くない」と感じるか、充実できない感覚を得たりしたら、それは脳が「恨むことを楽しんでいる」証拠だ。

 人を恨むのは、実は、とても気持ちの良いことだったりする。
自分が絶対に正しいと確信しているから全力で恨めるわけで、正しい立場に立っている自分の姿への気持ち良さも手伝って、そのうち相手を成敗して当然という「義」に近い感覚に取り憑かれたりする。
 そして恨みや怒りの強大なパワーを全身に溜めこんで行く。

 普通の人は日常生活の中で何だかんだ発散できてしまうものだけど、外へ出て行かない人は他の出来事に脳のパワーを使う機会がないので、ずーっと恨みの感情だけに集中してしまう。
 そしてそのうち思わぬ大爆発を起こすのだ。

 爆発というと一瞬大きなものがドン!と出て、その後は終息に向かうイメージだが、母のそれはいつまでもピークのまま続いていた。
 怨みに生き、怨みに寝て、怨みに起き、怨みに呼吸し、怨みに泣く毎日。勢いが衰える兆しが見えない。

 怨む相手にそこまで固着するのは、度を越して依存しているということでもある。自分の一分一秒をこの世で一番嫌っている相手に捧げているのだから。
 しかし母は、それに気づくほどの冷静さを取り戻せない。特に自分を客観視する方法を学ばずに来た母のようなタイプは、頭に血がのぼると、それしか見えなくなって感情のオーバーヒートを起こす。

 重い体を引きずるように帰ってきた私には、「あんたには気の毒やね」の一言だけが謝罪として捧げられ、次の瞬間から罵詈雑言は何も変わらず繰り返された。「けどね、たまらんやないの。許せるはずがないわね、あんなことされて」と。

 私は口の端で皮肉な笑いを浮かべてしまった。
 母はそれにも気付かないくらい私の様子を見ていなかった。
 それもまあ、いつも通りだ。

 私の中の我慢のコップは、なみなみと注がれてずらりと並んでいたのだと思う。
 その中のひとつを、S県へ逃げたひと時でほんの少し、こぼすことができたのだ。
 だからそのコップがまた溢れるまで、忍耐の猶予ができたように思えた。

(また満ちてしまわないように、もう少し解消法を考えよう)
 そう思えるくらいに落ち着きを取り戻せたのは、母のために始めた介護の仕事のおかげだった。
 資格を取得したスクールで、「同情しないこと」「同調しすぎないこと」「自分のメンタルの安定を大切にすること」を繰り返し教えられていたことを、S県からの帰り道で思い出し、それが帰宅への道を支えてくれた。

 介護の資格を取得するのは、その世界で働きたい人ばかりではない。
 家族など近しい人のサポートを行うために学ぶ人もいる。
 そのスクールでは、仕事で介護・介助を行う人よりも、家族のサポートをする人ほど、この3つを忘れてはならないと繰り返し教えていた。

『同情はそもそも上からの目線でなければ発生しないものです。
 かわいそうという言葉で相手を「かわいそうな人」にしてはいけません。
 その人が本当にかわいそうかどうかは、その人自身が感じる事であって、他人が一方的に決めてはいけないのです』

『家族間では同調や共感を求めやすいし、求められやすい環境がまず出来上がっています。
 それが行き過ぎると「親がこんな状況なのに子供が遊びに行くなんて」といった束縛が自分の中から生まれたり、他人から心ない言葉をぶつけられたりすることが少なからず起きますが、気にする必要はありません。
 介護も介助も、する人の心身が健康でなければできないからです』

 母から、また父からも「お前は心が冷たい」と言われ続けて育ってきた自分にとって、これは救いの言葉だった。
 同調も同情も協調性も「足りない」と母からさんざん責められ続けたけれど、それでも、経験も感情も体感している本人のものであって、分かったようなフリをして一緒に涙ぐむなんてまっぴらご免だと幼少の頃からずっと思っていた。
「勉強なんかできても優しくないからあんたはダメ人間だ」と迫る母の要望を、無口になることで拒否し続けていた成長期の悩みが、ここでやっと解けた。
 私の考えは、全否定されるほど悪いものではなかったんだと。

 S県へ向かったあの日のをきっかけに、私は自分のスタンスを組み直せたのだと思う。
 あれは良いやり方ではなかった。でも、母のサポートをこの先何十年も続けることを考えると、この辺で自分を立て直しておく必要があった。

 そして母はといえば。
 この一件でいくらか娘への気遣いをしようと思ったらしく、心療内科の通院時の付き添いを断ってきた。

 この頃の母は心療内科だけに通っていた。
 話を聞いてもらい、「うつ病は辛いけど、気長に治して行きましょう」みたいな優しい声掛けを医師から受けて、診療の最後には握手をしてもらう。
 それが苦しい毎日の中にわずかに芽生えた楽しみになったようで、他の何をしなくても、心療内科にだけは真面目に通い続けていた。

 最初の頃は付き添っていたが、カウンセリングと言えるほどのやり取りを見たことは特にない。それでも、
「あの先生は優しいわ。必ず最後には立ち上がって机の向こうから出てきてくれてな、握手をこう、ギュッて両手でしてくれるんよ」と母が嬉しそうに話すので、(通わないよりはマシか)と思って、特に口出しをしなかった。

 それがまずかった。

読んでくださった皆さまに心から感謝を。 電子書籍「我が家のお墓」、Amazon等で発売中です! 知ってるようで情報が少ないお墓の選び方。親子で話し合うきっかけにどうぞ^^ ※当サイト内の文章・画像の無断転載はご遠慮します。引用する際には引用の要件を守って下さい。