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丁寧に生きる【私は大袈裟かな?】

小さい頃、私は親に
「あなたの言うことは大袈裟だ」とよく言われていました。
だから私は感じたままを言ってはいけないと思っていました。
でもそれは子供の頃の決まり事で、
今はそんな決まり事を守る必要はないことに気づきました。

ただ単に私は繊細な感覚を持っていただけ。
子供の頃は、その繊細さを発揮すると、
母がその対応をするのが大変だから、
または、その反応を邪険に扱うと自分の評価が下がるから、
「あなたは大袈裟ね・・・」
という言葉で片付けられてたような気がします。

例えば・・・
歯が痛い。擦りむいて血が出ているところが痛い。のどが痛い
なんて身体的な痛みを言おうものなら、
大袈裟ねと言いながらも下記のような処置です。

↓ ↓ ↓

歯が痛い➡正露丸を詰められる
創には➡オキシドールで消毒
喉が痛い➡ルゴールを脱脂綿に湿らせて直接塗布

これ、結構辛い処置なんです。
正露丸は母のお気に入りの薬。
臭いわかりますか?黒い球の方の。
強烈な臭いと舌に触ると、
めちゃくちゃピリピリするんです。
唾液は出るし、唾液を飲めば粘膜がすべてヒリヒリしてきます。
それを幼少期に体験しました。

そして
オキシドール。
創にしみます。
泡がシュワシュワと発生し、
ヒーヒー言ってしまうくらいしみます。
当時、マキロンも出ていましたが、
うちにはありませんでした。

私は結構なおてんばで、
一つ上の兄ができることは自分もできると思って、
遊ぶときは付きまとっていました。

木登りをして落ちたり、鉄棒から落ちたりと
何かに上っては落ちるので
生傷が絶えなかったのです。

私の子供の頃は、
消毒液と言えば「赤チン」でした。
でも、ひどい傷には「オキシドール」でした。
マキロンがいいと言ったこともありましたが、
「うちには必要ないし、あなたがケガをしなきゃいい」と言われました。

そして喉にはルゴール
割りばしに脱脂綿を巻き付けて、
ルゴール液をたっぷりと浸み込ませて
喉に直接塗ります。

当然、「おえっ!!」となるんです。
嘔吐反射は生理反応ですよ。
そして首を横に向けてしまう。
それでまた、大袈裟だ怒られる。

こんな事されて、怒られて、
当然、泣きじゃくりますよ。
そうするとまた、大袈裟だと言われます。

身体的な痛みを訴えれば
嬉しそうにこういった処置をする母を
悪魔だと思っていました。
ここは繊細な私が母の表情をそのように受けっただけと思いたい。
でも、実際にこれが日常だったんです。

だから、自然と体の痛みは我慢することが多くなりました。
歯が痛くても言わず。
抜け変わるのをじっと待ったり、
グラグラした歯は、父に糸を巻いて無理やりとられるので、
自分で抜いていました。
創ができても自分で水道水で洗って赤チンつけて絆創膏を付ける。
咳が出たくても、母の前では我慢していました。

今思うとよく耐えたと思います。
子供が大袈裟に言っているわけではなく、
親のやり方が大袈裟というか、
すごいことをやってくれていたんだと思います。

だから、
「大袈裟ね」の言葉から、
私は「普通じゃない」と思い込まされていました。
大人がやっていることが普通って思ってました。純粋に・・・。

そういえば、大人になっても
親のそういう刷り込みを他人から言われたこともありました。
私は帝王切開で子供産んでいますが、
産んだ後が辛い。
痛いと看護師さんに訴えても
痛み止めをもらえなかった時代です。

まあ、仕方ないです。
でも、手術の時でさえ、麻酔もあまり効かない体で
産んでいるんです。

ずーっと痛みに耐えていた状態で、
「お母さんになるんだから、そのくらい我慢できないと!」
と言われました。
当時の看護師さん厳しい・・・(泣
その時も私の感じていることは
やっぱり、わかってもらえないんだと思いました。
これは私がやっぱり大袈裟だったんですかね?

当然、子供の頃に刷り込まれたことなので、
もう大人なんだから誰に迷惑をかけるわけではないのに、
なんでそこに執着していたのかわかりません。

ただ単に気づいていなかっただけなのか?
長年の思考の停止ですね。

かなりのことをこれまで我慢してきたことで、
身体は常に緊張状態にさらされて、
筋肉は常に硬直状態。
身体の力を抜くやり方すらわからなくなっていました。
だから、寝ているときも緊張して、
朝が一番ガチガチの状態で目覚めていました。

いろんな人におかしいと言われましたね。
寝ていて身体を休めているのだから
朝は身体がスッキリするもんでしょ?
と・・・。

ここでも普通ではないことを実感し、
また自分の感じていることが言えなくなるという悪循環。

でも、大袈裟ではなく、繊細だと
気づくことでかなり気持ちが楽になりました。

さらに、「それ、いいと思う!面白い!!」
「あなたの意見が聞きたい」
と言ってくれる仲間に出会えたことは
本当に本来の自分を取り戻すためには
とても恵まれた環境だと思います。

大袈裟だと親から言われ続けたけど、
ようやくその呪縛から解放されます。
そういう方々がそこにいてくれるだけでうれしいです。
ありがとうございます。

私の母もこれがいいと思ってやってきているんでしょう。
母も両親が教師の家庭に育っています。
厳しくしつけられ、長女だったこともあり、
責任感も強かったんでしょう。

母もたくさん我慢していきたのだと思います。
そう思うと責めることはできないけど、

私は辛かった。
「そうだね、痛いよね。その気持わかるよ。」って
一旦、寄り添って欲しかったな。

でも・・・
私の辛さは、無駄ではなかったです。
人に寄り添うことが身につきました。
だから、あなたがいると安心すると言われるようになったのだと思います。

反面教師も悪いことばかりではないなと
今は思います。


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