言葉を取り戻していこう。 (正敏)
こんばんは、少しご無沙汰してます、赤阪正敏です。
ここのところまゆが毎日ブログを更新していること、それから僕が青い似顔絵師として顔を描かせていただいた朝日美陽さんのブログを読んだことで、もう一度ブログを書こうと思った。
(朝日美陽さん)
それともう一つ。
今日何気なくツイッターを見ていたら、ちょっと前に僕が追い出された(笑)コミュニティのリーダーだった人のつぶやきを見つけたんだった。
その人の言葉は無駄がなくて鋭い情報に溢れていた。わかりやすい。久しぶりにその人の言葉に触れてドキドキした。
せき立てられるような、このままじゃダメなんじゃないかと思う感じ。
懐かしかった。
人はどのように生きてもいいと思っている。人に迷惑をかけなければ、という話ではない。もっと広い自由。
仮に迷惑をかけたとしても、それがしたいことならしたらいいと思う。これは少し危険かもしれないけど、そう思う。
迷惑とは何か、という話になってしまうけれど、「人に迷惑をかけなければ」というような使い勝手のいい客観的指標を突破してでも届いてくるものにしか感動はないだろうと思う。
そういうものを忘れていたな、と思った。そもそも器用に合理的になんかやりたくもなかったのだ。そう、「やれない」でもあり「やりたくもない」人間だったのだ。
やれないということにフォーカスを当てすぎて、そのことに不足を感じ、不安になり、「ブログでアクセスを稼ぐには」「長期的に安定した資産を気づくには」という言葉に惹かれていた。
いや、惹かれないといけないと思っていた。本心では興味もないくせに、客観的正しさにすり寄った。疲弊した。
言葉を取り戻していこう。
もうたくさんだわ。例えそんな文章ではアクセスを稼げないと言われようと、ファンがつかないと言われようと。
この身体で生まれたのだからこの身体で生きていきたい。
もちろん鍛えたり絞ったり太ったりして生きていくのだけど。身体の美しさを人に決められたくないように、言葉の美しさもまた人に決められたくない。
身体というものはそもそもが美しいのだ。
正敏
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