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タイ旅行の記録⑦ 涙・カルマ・人を操作することと自分を肯定すること。 (正敏)

少し久しぶりの投稿。すごく長くなると思うので、ゆっくりお時間のある方へ…。

チェンマイで過ごした時間は濃密だったなぁ。書き留めておきたいことがたくさんある。途中までは前回までのブログに書いた。ご興味ある方は読んでみてください。

もう正確に一昨日だとか一昨々日だとか思い出すのが面倒、というか、そういうことができなくなっているので、大体の時系列で書きます。

チェンマイの作家やアーティストが集まる場所やマーケットに出かけた。だけど開催時間までまだ間があったので、道すがらのカフェに入った。

すごく大きな敷地にログハウスのような建物やツリーハウスのような空間がいくつもある。注文したものを持って来てくれて、ゆったりと過ごす。

チェンマイのカフェがどこも素晴らしいわけじゃないけど、日本の多くのカフェにない贅沢な時間と空間があった。またチェンマイにいったら必ず行くカフェになったな。

マーケットの雰囲気は、京都で開かれる手づくり市、中でも糺の森ワンダーランドや、もう少し都会で開かれるマーケットに近かったな。敷地が広い分、もう少し空間に余裕があるのが素晴らしかった。

珍しく似顔絵を描いてもらった。僕も似顔絵を描くんだと話し、インスタグラムで繋がった。

チェンマイの作家たちは若い人も多く、親と一緒にお店をやっているという話がなんども出た。なんとなくバンコクが東京に、チェンマイが京都に例えられる、という話を聞いたけど、分かる気がする。

「その国で一番”発展”してる街に住まない」ということ。

その選択が消極的なものであろうとも、それはその人の価値観に大きな影響を与える。チェンマイではバンコク以上に、「今ここでこうして生きてる」ことの絶対的な肯定を感じた。
これはバンコクでもそうだけど、タイの人たちが怒っているところを全く見ていない。旅はあと少しだけ残っているから、まだわかんないけど。
焦っている人もほぼ見ない。都会的なカフェで店員さんがお釣りを間違えていることに気づいた時などはすこし焦ってたけど。

タイに来た初日は怖くて渡れなかった道も、渡り方がわかったらあまり怖くなくなった。車も歩行者も、どちらも慌てていない。そしてどちらも相手をよく見ている。

日本だと運転手は歩行者を見ると「飛び出してくるなよ!」という感覚を持つことが多いと思う。タイの運転手は「来るかもな」と思って運転している、という感じがする。そして案の定渡って来ると、スピードを緩める。通り過ぎたらまたスピードを上げる。それだけ。「かもしれない運転」とはちょっと違う。疑っているよりは信じているに近い? かな?

歩行者の方も車が途切れたら渡る。次の車が無茶してスピードを上げて来ることはないとわかっている。そういうことをする車を全く見ないので。車線変更時の車間距離はかなり近いのだけど、それはマーケットを行き交うタイの人たちの様子と似ている気がする。

人に無関心なのではなく、人を操作しないのだ。

「こっちに来るなよ」という目つきで人ごみの中を直進するから人が避けてくれてぶつからない、というのではない。
自分の向かいたい方向とスピードと、向こうから来る人の方向とスピードを直感的に計算して、すれ違う。

言葉にすると日本人の多くの人もそうしている気がするけど、なんか違うんだよな。「先に自分が進む方向とポジションを確保してしまうことで相手を避けさせる」というような”操作”をしない感じ。

操作という言葉が、今回の旅で大きなものとしてやって来た。今まで何度も突きつけられて来たはずの言葉であり、テーマである。

僕は表情や仕草や言葉で暗に人を操作し、罪悪感を抱かせて自分のポジションを確保する、ということをしてしまう人間だ。変わらない。変われない。

「変わらなくてもいいんだよ」というメッセージと「変わるなら今だ」というメッセージが両方響く。
現在の日本人は…というか少なくとも僕は、情報の万華鏡みたいなものの中でぐるぐるぐる回っていて、もはや何が正しいのか、正しいってなんなのか、正しいことってあるのか、「正しいことがある」ってどういうことなのか、何重にも何重にも価値観の相対化が起こっていてわけわかんなくなる。

その駆け込み寺が人によっては精神病院だったり、スピリチュアリズムだったり、瞑想だったり読書だったり映画だったり芸術だったりスポーツだったりセックスだったりドラッグだったり旅だったりするんだろうな。

操作というものに直面した翌日、カオソーイが有名なお店に行った。たくさんの子供たちがご飯を食べていて、引率の大人も何人かいた。
たまたま僕たちが座った席の隣にいたおじさんと、いろいろ話した。ドライバーだという。

僕は片言の英語だし、旅先で出会ったばかりの人に深い話などできないけど、それが僕の心に少しだけ風をくれたのか、はたまたチキンカオソーイが本当に美味しかったからか(ビーフを頼んだがおじさんに「ビーフはダメだ!チキンが美味しい!オーダーし直しておいで!」と言われたのだ)、お店を出て太陽を浴びながら大きな樹を見て泣いた。

あまりにも大きくて美しい樹だった。樹に巻きついているオレンジの花の花びらが降り注ぐ中写真を撮ったら、5センチくらいの柔らかめの枝のようなものが眉間に直撃した。

叱られたのか呼ばれたのかわからないけど、幹の方まで行って樹を抱きしめて「どうしたらいいですか?」と聞いたら「そこ(お腹)にいなさい」と言われた気がした。また泣いた。コープクンクラップ(ありがとうございます)と伝えてその場を後にした。

その後、前日に不思議な流れでたどり着いた、予約していたタイマッサージとハーバルボールとトーク・セン(タイ北部に伝わる伝統的なマッサージ)を受けられる施設に行った。

そこは医療機関であり、タイに来てから何軒か行ったマッサージ店とは雰囲気が違っていた。小さな木造の部屋で施術が始まると、すぐに涙が溢れて来た。理由がわからないが涙が止まらないことを英語で伝えると、施術師のおじさんは「さっきこの部屋で施術したスペイン(イタリアだったかな?)人女性も同じことを言って泣いていた。それはカンマ(カルマ)だ」と言った。

おじさんの顔は義父に似ていて、優しい笑顔だった。その後もいろんな話をした、年齢は僕の母親と同じだった。
部屋をよく見ると白とブルーグリーンの色調で、僕がここのところ瞑想したりイメージしたりしていた理想的な家の空間と近いことにそこで気づいた。

今はないチェンマイの伝統的な木を使って作られているらしい。
僕が大好きな、亡くなった祖父の話をしたらまた泣いてしまって、そうこうしているうちにトーク・センが始まった。

施術師のおじさんが祖母から受け継いだという木のヘラのようなものを木槌のようなものでトントン、トントンと叩いて刺激を与えてもらう。
その音は外からのものだが、身体の中から響いて来るようで、不思議な感覚だった。おじさん曰く、「現在のトーク・センは筋肉にだけ施術されるが、本当のトーク・センはbodyに行う。現在のものは時には危険だ」とのこと。bodyは身体や魂も含むものなのかな、と勝手に解釈した。

人を操作する人間は、自分自身もまた操作している。人との関わりは自分との関わりであり、人を疑う人は自分を疑っている。人を見下している人は自分を見下しているから、自分に見下されている。世界に見下されている。

もうここから出して欲しい。自由にして欲しい。信じて欲しい。もっと楽しい世界を一緒に見よう。おかえり。ただいま。

そんな声を身体から聞いた気がした。

施述後、おじさんはこの病院の開祖の写真がある部屋を案内してくれた。

僕は輪廻転成というものを論理的に信じてはいないのだけど、こういう時に自然と「あぁ、この人に会ったことがあったのかなぁ」と思うのは、日本に生まれて育って、ふわっと仏教に触れて来たことに由来するのかな。
僕の祖父は実家の側のお寺の建立に寄与した人で、僕もそのお寺の人たちにお世話になっていた。また、祖父は確かタイに関係したことをやっていたような気がする。この辺は帰国したら両親に聞いてみたい。

施術師のニーワンさんの名前の意味は「家」だそうで、この家(施設)の空間は僕の理想的な色彩であること、僕の似顔絵と色彩のこと、人を操作すること、愛のことなどを話した。

帰り際に再度声をかけてくれ、一緒に写真を撮った。

これを書いている今は、その翌日、チェンマイからバンコクに着き、今回のタイ旅行最後の夜をバンコクの街で過ごした後のホテル。深夜。

もう一度トゥクトゥクに乗ったよ。簡単な値段交渉ならできるようになった。
もっともっとタイ語を覚えたくなったな。
ニーワンさんに教えてもらったチェンマイの方言も一つだけ使える。

自分と出会い、自分を肯定するための旅でした。

おお、もうすぐ夜が明けそうや。

今日帰国。

最高の旅でした。今回の旅行を応援してくれた人たち、タイで出会った人たち、ブログを読んでくれた人たち、ありがとうございました。

また日本・京都で会う友達、よろしくお願いします。


正敏

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【告知】

京都発の2人組ロックバンド、センテンスの企画が4月7日に決定しました!

「畑とロック3」

日程:4月7日(日)
場所:西院ネガポジ
時間:開場 18:30 開演 19:30
出演:有本秀右(ex エンペラーめだか)
センテンスwith西村中毒
料金:前売り2000円 当日2300円

チケットの取り置きはsentence.info☆gmail.com(☆を@に変えてください)までお願いいたします。


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