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今日は生き急ぐことと余命宣告、そしてチャレンジ回数の関係性について。

高強度TRのせいでAAAの宇野ちゃんと丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーをYouTubeでヘビロテする謎のサイクルに入った赤﨑です。
#高強度TRのせいじゃないと思う
#昼寝爆睡
#夜寝爆睡
#夜寝ってなに
#久しぶりの投稿です
#皆様あけましておめでとうございます

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今日は生き急ぐことと余命宣告、そしてチャレンジする回数の関係性について。

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【生き急ぐ】は悪い意味で使われがちですが、むしろチャンスを掴みやすい人間の特徴かなと感じています。

例えば、1年と【余命宣告】された場合、最初こそ落ち込み動けなくなるかも知れませんが、この1年を大好きな人たちと有意義に過ごそうと思うはずです。そしてその記憶は鮮明に脳裏に焼き付くと思います。

つまりケツが決まればパフォーマンスのクオリティは確実に上がる。無駄な時間を過ごさなくなります。1秒も。

余命宣告を知らない人たちがその姿を見たら生き急いでいるように見えるでしょう。何を慌ただしく生きているんだ、と。人生は長いからゆっくり行こうよ、と。俺らと同じペースで、と。
日本人が得意な同調圧力を使うでしょうが、それを気にすることはなくなります。なぜならあと1年しかないことを自分は知っているから。周りの目を気にせず、自分にできることを全てやろう、大好きな人たちと貴重な時間を過ごそうと思うはずです。

普通に過ごす1年と、余命宣告された1年では何かに【チャレンジする回数】も格段に違う。
ケツを自分で決めちゃえば、チャレンジする回数が勝手に増え失敗と成功を短期間で繰り返しPDCAをぐるんぐるん回していく。ケツを自分で決めるのは相当な覚悟が必要ですが。。。

コロナが落ち着いたら、、、
という合言葉を世界中の人間が使い出してから1年経ちました。
最初は希望だったその言葉が、逃げ道にならないように。

自分自身に問いかけ続けていきたいと思います。


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