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敢えて周りに流されて生きていく

キャリアプラン

社会人において一度は必ず聞く単語だろう。
この単語を目にする度に、就職活動をしていた頃から、そういえばきちんとしたキャリアプランを考えてこなかったなとつくづく思う。周囲には学生の頃から「こうなる!」と決めて動いていた人が何人かいたけれども、そこまできちんと計画立てて行動に移せるのは正直羨ましいと思っていた。

何歳までにこうなるとか、この部署でこの仕事をするとかしっかりしたものは社会人になってから数年経ってもあまり持てずにいた自分。6年目を迎えた今は、明確なキャリアプランの達成に向けて行動するより、「好きなことに関われる」の軸で経験やあらゆる業界の人との関わりから見聞広めて都度都度軌道修正するほうが性に合ってるのかなと思えてきた。学生の時の視野は東京に出てきて広くなったと思っていたけれども、社会人になってからまだまだ狭い世界しか知らなかったと思い知らされることが多くて。「この仕事やってみない?」「これ面白いから一緒に行かない?」とか仕事とプライベート関係なく声掛けてもらったことは、とにかくやってみた。この仕事だけやる、とかこの趣味しかしないとかそんな括りは20代のうちは要らないと思っていて、とにかく流されてみようと思っていろんな所へ顔を出した。一見して自分の意思のない流動的な人物に見えるだろう。まあ実際、「好きなことに関われればいい」という漠然とした意思しかないのだからそう思われても仕方がないと納得させていた。

世間では、「自分の意見がない」とか「受け身でしか動けない」とかマイナスな捉え方をされる。けれども、そんな自分を客観的に言語化してくれた人がいた。マツコ・デラックスだ。

「流されるって自分の意思と違う場所に行ける。自分の意思で進むと自分の選んだ場所にしか行けない。流されてみると自分が絶対チョイスしない場所に着けたり見えない景色が見えたりする」

日テレで放映されてる「マツコ会議」で、マツコとあるクリエイターとの対談の中でのひとコマ。まさしく「これだ!!!」と目からウロコが落ちて衝撃だった。知らない世界で活躍してる人を取り上げて、じっくりマツコと対話を重ねる30分が好きで、リアルタイムで見れない時はTverで追いかけて欠かさず見ていた。マイナスな捉えられ方しても仕方ないとここまで来た。けれども、第三者から的確にいまの状況を言語化してくれて「これでいいんだ」と肯定してくれて。その鋭い視点の言語化に救われた。

話すにも、書くことにも、理解するにも何事にも知識は必要だ。けれども自分一人の視野で一つずつ社会に落ちている知識を拾い集めていくことには限界がある。だから、“敢えて”流されて自分の知らない世界を知る、蓄える、そこを大切にしてきて今に至る。

⚫「流されて生きていく」のこれから
敢えて流される生き方は、これからも変わらないだろう。けれども時間は有限だ。さらに年齢を重ねるにつれて、ライフステージも変わるし、健康面もより一層気をつけなければならない。だから、30までとまずは決めていまある時間を有効活用して、この生活を続けてみようと思う。まだ行ったことのない国内外の地域だってあるし、これからも「はじめまして」と挨拶をして出会う人だっているだろう。限りある時間の中で、その機会を逃さずに知り得た知識や経験を好きなこと、書くことに昇華して発信出来たらと思う。

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