自叙伝風小説27株式投資説明編

「もう一週間休みを?・・・それは構わないけれど、大丈夫なのか?」
「はい、別にもう落ち込んだりはしていません。自分のミスは自分のミスとして受け止めて、きちんと前を向く気分にはなっていますから」
倉田は家の玄関で上司に電話しながらクスッと笑い声を漏らした。
「ご心配おかけして、申し訳ありませんでした」
「・・・その様子だと、強がりでもないみたいだな。あの瞬間のお前の顔は全財産を失ってしまったみたいに絶望の表情だったんだぞ」
上司が冗談まじりにいう言葉に、倉田もその時の感情を思い出すと納得だと笑ってしまう。
「まぁ全財産とか、今までやってきたこととか、全部失った感覚ではありました。でも、全財産を失うことって、あまり怖くないなぁって最近分かったんです」
「はぁ?」
上司はその言葉に理解ができず訝しげな声をあげた。どう考えでも全財産を失うことは悲しいどころの話ではなく、絶望でしかないのだというのは一般論でもそうだろう。
倉田もそこは理解しているのか、自分の意見がマイノリティだと言うことも理解しつつスマートフォンを左手に持ち替えた。
「僕は、ありがたいことに最近ではお仕事いただけるようになってきましたけど、もともと冴えないライターですから、貯蓄なんて言うほどないんですよ。百万二百万を簡単に失っても前向きな人が身近にいるので」
「そんな・・・ああ、お前が最初に持ってきた記事の人か」
「ええ。これからまたお話聞いてきます。多分、今日も三百万失っちゃった、とか何気なく言うんですよ」
そんなに僕は貯金ないのに、と笑いながら話すと上司も倉田の声色で安心したように「そうか」と笑って返した。
「まぁ、とにかくお前の休暇申請は受けるよ、しっかり満足するまで取材してこいよ?」
「はい、もちろん!」
倉田は満面の笑みで電話を切るといつもより重い鞄の中身を確認した。
そこにはいつも使っているシステム手帳ではなく、学生のようなきちんとしたノートが一冊、新品の状態で入っていた。そしていつものように適当に放り込んだボールペンではなく、きちんと筆箱に入っているシャープペンシルと消しゴム。蛍光ペンなんかも入っている。
授業を受けに行く気分だ、と懐かしくも楽しい気分で確認を終えると、静かに家の扉を開ける。
いつも暗くて不便だと思うマンションの共有部分の黄色い電灯も、今日は少しだけ明るく感じられた。
さっき上司に言った言葉は真実だが真実ではない。
以前触りだけ聞いた話では三億とか言う嘘みたいな金額を聞いたのだ。三百万なんてはした金だと思えるような金額だ。だが、これは倉田が記事にするまでは、自分だけの楽しみだ。
変な言い方かもしれないが、独り占めしたいのだ。
ライターの特権かな、と内心でふざけながら、いつもの狭いエレベーターを降りていく。
すっかり夜の街には飲み屋の明かりがちらほらと見えるが、脇目もふらず倉田はいつものバーであるミステリオ・・・ではなく、アカヤギから指示された料亭に向かうのだった。
タクシーで三十分、高級住宅街と言われる地区に入った時はいつもの生活範囲と景色が全然違って、雰囲気すら違うように思える。そもそも店の名前を伝えただけで運転手はナビも何も入れずに走ってくれたのだ。どれだけそこが有名なのかが窺い知れる情報だった。
倉田自身はその店のことを知らないがタクシーから降りると思わず感嘆のため息を漏らした。
テレビでたまに見る首相や政界の大物、芸能人なんかが使っている店構えをしており、普通に生活していれば今まで関わることもなかったお店だと思うと、取材関係なくテンションも上がってしまう。
料亭だと聞いていたから一応T P Oを考えてスーツできたのだが、これも正解かどうかはわからない。とりあえずきちんとクリーニングだけ出しておけばよかった、と少し腰が引けながらも店に入り予約の名前を伝えると着物を着た女将さんが品よく先導して案内してくれる。店の一番奥まで案内してもらうと倉田に深々と頭を下げて正座をすると襖を開けてくれる。これだけで自分がまるで大物だと錯覚してしまいそうな扱いを受けるが、襖の向こうではアカヤギが軽く自分に手を上げながら、極めていつも通りに座っていた。
いつもと違うといえばグラスに入っているのが透明な日本酒だと言うことくらいだろうか。
「こんばんは、お待たせしてしまってすみません」
「ううん、僕が先に来てお酒を楽しんでいただけだから気にしないでいいよ」
ありがとうございます、と倉田はお礼を言いながらゆっくりと個室に入っていく。今まで付き合いでもこのレベルのお店にはきたことがなくてなんだか落ち着かないが、倉田もアカヤギに負けないように努めていつも通りでいようとする。鞄からノートを取り出そうとするが、アカヤギはそれを察して軽く手を出して制してきた。
「まぁ、まずはゆっくり食事を楽しもうよ。今までこうやってきちんと話したり食事したりはしてこなかったでしょ?」
「あ・・・そうですね、すみません」
出しかけたノートを戻すと倉田はなんとなく正座したままでキョロキョロと個室内を見回した。
「それに、今日は時間を気にしなくていいからね」
「・・・そうなんですか?株っていう話だったから確かにいつもより時間は必要だとは思いますが」
店側に迷惑では、と心配する表情を浮かべると、アカヤギは静かに首を振った。
「このお店は結構僕も通っていてね。わがままを聞いて貰ったんだ。今日は閉店までこのお部屋使っていいってことだから、まあゆっくりやろう」
そう言って小さなグラスでゆっくりと中身を嚥下していく。
その様になっている姿を羨ましそうにみていると、また個室の襖が静かに開いた。
「倉田様、お飲み物は如何なされますか?」
「ああ、えっと・・・倉田は慌ててそちらに視線を向け、少し黙るが女将さんは襖の向こうで背筋を伸ばして座っているだけだった。
「え、っと」
倉田がどうしたらいいのかと声を上げると相変わらず観察眼の鋭いアカヤギが助け舟を出した。
「メニューはないんだよ、このお店は。味の好みとか伝えてくれたら女将さんがぴったりのを持ってきてくれる」
「じゃあ・・・ちょっと普段は飲めないような、珍しいものとか、飲みたいです。甘くないしっかりしたものを飲んでみたい、ですね」
これでいいのか、ととりあえず言われるがままに自分の嗜好を伝えると女将さんは優雅に微笑んで頭を下げる。そして去っていくと、アカヤギに何の話を振ろうかと悩み、その答えが出る前にもう一度襖が開いた。
今度はおかみさんだけではなく他にも着物を着た女性が数名立っており、静かに料理を運び入れ始める。
その中で女将さんは倉田の隣に来るとグラスを置いて手に持った大きめの瓶から音も立てずに丁寧にお酒を注ぎ始める。
それをチラッとみたアカヤギは「ああ」と納得したように頷いてからすぐに視線を外し、並べられていく美しい料理たちに興味を移してしまった。
だが倉田は注がれても、いや瓶を見ても何のお酒かわからずどうしたものかと悩んでしまう。
だが、おかみさんもそこは流石にベテランのようで、綺麗に注がれたグラスを差し出しながら鈴を転がしたような透明感のある声を出した。
「こちらは、菊理姫というお酒です」
「くくりひめ」
倉田も言い慣れない、聞き慣れない言葉をとりあえず返すとその姿が面白かったのか女将さんは口元に手をやりながら微笑んだ。
「菊姫という石川県は白山市にあるメーカーのお酒でして。白山信仰の御祭神である菊理媛から取ったそうです。菊姫の中の菊姫、これ以上はないという自信を持った意味ですね」
「なるほど・・・」
女将さんはそう言って頭を下げ、また部屋から出ていく。倉田が慣れないお酒と女将さんに集中している間にもテーブルには所狭しと煌びやかな料理が並べられていた。
「菊理姫はね、倉田くんが伝えたように少し辛口で香りが強いお酒なんだ」
それを聞くと普段はしないのにゆっくりとグラスに鼻を近づける。
「飲んだ時に、だよ?」
くすくすと笑いながらもアカヤギはさすがというべきかそのお酒を知っていたようで女将さんのしなかった説明を軽く補足した。いや、むしろ通っていると言っていたから女将さんは二人の会話のきっかけ作りをしたのかもしれない。
「菊理姫は多くて年に二回しか出荷されないんだ。基本は一回。さっき女将さんが持っていた瓶で五万円くらいするから、きっと美味しいと思えるはずだよ。温くなるとそれはあまり美味しくないから早く飲んだ方がいいかもね」
「ご・・・まん」
お酒の金額なのか、と笑いながらも倉田は覚悟を決めたようにゆっくりグラスに口をつける。
品よく濁ったそのお酒をゆっくり口に入れるとまずよく冷えた感覚から、刺すようなお酒の味が飛び込んでくる。だが、よく言われる辛口、と呼ばれるものよりもその刺激は優しい。だがしっかりとお酒の味を運んできてくれた。
高いから良い、というのは間違いだとは思うが、良いものだから高くなるということは往々にしてある。実際辛口が苦手な倉田も本物を飲めばその意見は一気に変わってしまった。
そしてゆっくりと飲み込むと後から芳醇な香りが鼻どころか顔いっぱいにまで広がってくる。思わず目を閉じてしまった倉田は、またいつかこのお酒を飲もうと内心で夢見ながら、ただ一言だけ「美味しい」と漏らした。
ライターである彼でもその味にとやかく感想を言うのは無粋な気がしたのだ。
そしてそれを満足そうに見届けたアカヤギもまた、自分のお酒を楽しんでいた。

「美味しかったです、本当に」
倉田の言葉は半分嘘だ。いや、味は間違いなく今まで食べた中でも最高級であったし、お酒もそうだ。あの後いくつかの種類を飲ませて貰ったがそのどれもが美味しかった。
それに、料理は味だけでなく盛り付けから何からが最高で、目でも舌でも十分に楽しませて貰ってはいた。
だが、食べ終えた今でもまだ落ち着かないくらいにこの非日常の景色が倉田の意識を半ばぼんやりとさせていた。だからこその半分、だ。
それと併せて、アカヤギと取材関係なく何気ない話をするのも非常に楽しかった。
脳内のメモにしっかりと記録しながらも、倉田はこの食事の時間をしっかりと楽しんでいた。
「さてさて、それじゃあ少しづつ話していこうか」
料理も下げられて綺麗になった机に、倉田は慌ててノートを広げた。筆箱を開き、シャーペンが置かれるのを見届けてから、アカヤギはいつもより丁寧に話し始める。
「前チラッと話したけど、株に挑戦したんだ。・・・倉田くんはさ、株ってどれくらい知ってる?」
「あ、ええと・・・一応予習しようとは思ったんですが、文字ばかりで正直何が何だか」
素直に伝えるとアカヤギは当然だと笑いながらどこかの教師のように人差し指を立てる。
「そもそも株って何かな、と言う話からするね?・・・そうだなぁ、似てるもので身近だとクラウドファンディングとかはわかる?」
倉田はその質問に浅く頷いた。芸能人やニュースでなんとなく聞いたことがあるし、それは株よりまだ倉田に身近だった。
「うん、じゃあクラウドファンディングはっていう方がわかりやすそうだね。よくいくら集まりました!ってニュースを見るよね?株もあれと結構似てるんだよ」
「・・・そうなんですか?」
「うん、どっちも根底にあるのは資金集めなんだ。今倉田くんの飲んでいるお酒も、使っているノートもペンも消しゴムも、全部メーカーがお金を使って作ったものでしょう?でも、一から作ろうと思ったら、その資金を調達しないといけないよね?でも、全国に売り出そうと思ったら一万円二万円貯めましたじゃできないから、そこをサポートしてくださいって言うものだね」
「なるほど」
倉田はノートを取りながら真剣に彼の話を聞いていく。
「違うのはリターンが大きいかな。クラウドファンディングはそこをサービスで返す。例えば、お酒を作りたいんです、って言う人にお金を支援して、帰ってくるのは出来上がった美味しいお酒を一般の人より早く飲める権利だったり・・・支援するお金が大きくなると当然バックも大きくなって、お酒のラベルに名前を入れますよ、とか。セットで特別なお猪口をつけますよ、とか。出来上がる時にできた酒粕をつけますよ、とか。そのリターンの種類は本当にさまざまなんだけどね?」
どちらかというと、先行予約販売みたいなものかも、と例をだして、アカヤギは説明を続けた。
「キャンプ場を作りたいと言うなら、リターンとしてプレオープンに呼ばれたり、映画を作りたいと言うならエンドロールに名前が出たり・・・一番大きいのは、支援したお金はそのままって言うこと」
「そのまま、ですか?」
「うん。さっき言ったように先行予約みたいなイメージだから、そのお金はただの予約きん。サービスが提供されたらもちろんそれの支払いと相殺っていうイメージなんだ。それにプラスしてさっきみたいな名前が入ったりって言うロイヤリティもプラスされる感じ」
「・・・なる、ほど」
すでに倉田のノートはどんどん黒くなっていく。
「株はね、やってることは同じイメージなんだけど、帰ってくるのが違うんだ。お酒を作りたいって言う人に支援すると、お酒は送られてこないし、名前入りもされない。でも、毎年配当金っていう形でお金が返ってくるんだ。支援して貰ったお金で作ったお酒が売れて儲かったので、その一部を上乗せして返します、っていうイメージだね」
そもそも株とは目に見えないもののように思えるし、実際ものではない。だが、株とはその企業のオーナー権利なのだ。形ではないが、きちんと存在している。
「それだと、クラウドファンディングってなんで生まれたんでしょうか?株でいい気がするんですけど・・・だってお金もくれるならそれでサービスを買えばいいし」
「ふふ、確かにね?クラウドファンディングができた理由とかはわからないけど、多分ライトだからじゃないかな?」
「・・・どういう意味です?」
倉田の質問に、アカヤギは自分の意見を整えつつ言葉を並べていく。
「なんとなくさ、株って怖いイメージない?お金がなくなるとか。クラウドファンディングで大損した、って言う話は聞かないけど株で大損しました、って言うのは聞いたことがあるでしょ?」
確かに、と倉田はうなずく。
「ものすごい極論だけどね、お酒を作りますって言うクラウドファンディングに支援したとしよう。そして出来上がったお酒は歴史上でも一番の出来で、一兆円稼ぎました。でも、クラウドファンディングはさっき言ったように先行予約販売みたいなもので、リターンは最初から決まってるから、変わらず名前入りのお酒が送られてきたりするわけだ。逆に全然思う通りにいかなくて美味しくなくて売れませんでしたってなっても決まっているリターンはくれるわけだね。・・・一方で株って言うのは違う。一兆円稼いだのならその分リターンにくれる金額が上がる。でも逆に、全然稼げませんでしたってなったら下がるんだよ」
アカヤギはうん、と頷いて倉田のノートに置かれている真っ白な四角の消しゴムを持った。
「違う話をするよ?・・・例えば、この消しゴムは100円だとしよう。僕は百円でこの消しゴムを買った。今のままではただの消しゴムだね」
「そうですね、ただの百円のどこにでもある消しゴムです」
「うん、じゃあ、これを君に百円でうるよ、って言ったら君はどうする?」
「・・・どうするって、まぁ必要だったら買います、かね」
「うんうん、じゃあ一万円だよって言ったら?」
「それは、いらないです。百円で買ったなら僕もその方法で百円で買いますし」
これが何か?と倉田は疑問符を浮かべるが、アカヤギは満足げだった。
「じゃあ僕の買った消しゴム、これをそうだなぁ・・・例えばだけど、僕が世界的に有名なライターだとするよ?記事が何億で取引されるような僕が使ったこの消しゴム、一万円なら買う?」
そう言われて倉田は言われた通りの想像をするとんー、と悩みながら苦笑いを浮かべた。
「とりあえず、一万円って言う金額にさっきほどの違和感はないです」
「ふふ、そうでしょ?都市伝説みたいだけど、僕の使った道具を使うと同じくらいの記事の価値になるって言われたらどう?」
「それが真実なら、間違いなく欲しいですね、一万円なんてすぐはした金になりそうです」
笑いながら言うと、アカヤギも同じような笑みを浮かべた。
「元は百円なのに一万円が安く感じるでしょ?」
「そうですね」
「今度は順番を変えて・・・僕が君にこの消しゴムを売る。もちろん百円でね?そうだな、サインをここにしよう。僕から買った消しゴムっていう証拠だ。そしてその一月後に、僕はさっき言ったような世界的なライターになる。君の手元には、百円で買った僕のサイン付きの消しゴムだ。君なら、これをいくらで売る?」
「・・・さっきの話で言うと、一万円でも安いですね」
「でしょう?これが株のイメージなんだ」
「・・・?」
「株っていうのはさっき言ったようにオーナー権利だ。世界的なライターである僕、を一つの企業として考えてみようか」
なんの変哲もない鉛筆を作る会社があったとしよう。だがその会社が鉛筆を作るのにもお金がいる。そしてその資金の支援としてオーナー権を株という形で売るのだ。
ただ支援として倉田は千円でそのオーナー権を買う。
そして時が経った後、その鉛筆は世界中で売れに売れる鉛筆になった。
倉田の手に残るのは千円で買ったオーナー権のみ。
「じゃあここで、世界で売れに売れた鉛筆のメーカーのオーナーの権利っていうことを考えよう。最初に千円で買った時より、その権利の価値って上がっているでしょう?」
倉田はイメージがついて何度も頷いた。
「そこで僕がこんなに売れた会社のオーナーの権利が欲しいから君から権利を買おうとするよ?君はいくらで売る?」
「・・・とりあえず、千円よりあげると思います」
「ふふ、そういうこと。例えば一万円って言われても、世界中で売れに売れてるメーカーだよ?僕はきっと買うんだ。そうしたら君の儲けは9000円だよね?」
これが基本的な株の仕組みだね、と言われると最初よりはイメージがついて倉田は感心したように声を漏らした。
「じゃあ逆に・・・その鉛筆は大問題があって、世界中で嫌われるようなものになったとしよう。君はそんなところのオーナー権利なんて怖くていらないから捨てたい。僕に売るとしたらいくらにする?」
「え、そんなの売らないですよ!価値もないし迷惑かかるし・・・」
「ふふ、うん。ありがとね?・・・でも、これで君は千円を捨てたことになる。千円で買った権利が何の意味も無くなってしまったんだからね」
「あ、なるほど・・・これがマイナスになる時なんですね?」
「うん、今はかなり少額でわかりやすい数字にしたけど、本当はもっと大金だったり、そもそも株の値段は時間で全然変わるから、難しいんだけど・・・クラウドファンディングとの違いはわかった?」
倉田は頷いた。もし千円でクラウドファンディングだったとしたら、支援する際にリターンはもう決まっている。例えば自分の名前の入った鉛筆。これはその企業がどうなろうと基本は変わらない。もし世界的に有名になったなら自分の名前が入った鉛筆は誇らしいし、逆に全然ダメになっても鉛筆ではあるのだ。千円で買ったもの、ということに違いはなく、マイナスはない。
だが、株(オーナー権利)であればその価値によって金額が変わるので純粋なマイナスが存在するのだ。
良い企業になれば権利は高く売れるが、全然ダメな企業になればその権利など誰もいらないから、千円では売れない。
そしてそれ以外に物を送られてくるリターンが存在しないので純粋にマイナスというわけだ。
「もちろんプラスアルファとして株主優待とか配当金が存在するんだけど、そんなもので一気に大金になるわけもないから、大損になるわけだね。そもそも株主優待も取り消しになったりするリスクはあるし」
基本はその権利を安いときに買って、高い時に売る。これで儲けを出していくものだ。
「・・・と、言うのが一般的な認識かな?」
「一般的な認識、ですか?」
「うん、イメージって言うかね」
そう言いながらアカヤギはうーん、と頭を捻らせた。
「株ってもっと複雑で、説明するのが難しいんだよね。それに興味のある人でも調べてるうちに心折れてしまうことも多いし。それくらい色々難しいんだよ」
例えば、とアカヤギは人差し指をピンと立てた。
「さっきの株の基本の基本。・・・というかマーケティングの基礎というかなんというか。安いときに買って高い時に売る。これは何も株だけの話ではないでしょう?せどりもそうだし、褒められたことではないかもしれないけど転売もそう。株だってそれは同じこと自体は言えるんだけど、もっと高度なんだ。安い時に買う、高い時に売るっていう事だけじゃないんだ。いや、もちろんそれの知識があるからこそなんだけどね。・・・順張りと逆張りっていうのがあるんだ」
「・・・なんか、とりあえず人の意見に逆らう人のことを逆張りって言いますけど」
「うん、イメージはそうだね。多分株の言葉がある程度認識が変わって使われているのかもしれない。株で言うこの二つは少し意味が違って・・・株ってさっきも言ったけど株価っていう値段が毎分変わっていくんだ。これは最後の取引がそうなってるんだけど」
また専門的な話になりそうだと倉田はメモを取る手に力を込めなおした。
「もうしつこいかもしれないけど株は売ったり買ったりして儲けを出すものだ。だから常にあちこちで株を売ったり買ったりが成立しているわけ。ある人は一週間前に100円で株を買ったから今日120円で売りました。これでこの人は20円儲けが出ることになる。そして今この瞬間、株は120円で取引されたよね、これが株価なんだ。直前の取引の値段が株価っていうわけだね。ここまではいい?」
倉田は難しそうに唸りながらも少しずつ理解して頷いた。
「そして、ここで忘れてはいけないのが、株って言っても当たり前に人と人の取引なんだ。・・・つまりね、120円で株を買った人間がいるってことなんだよ。この人は次に株を売ろうとしたら、いくらだと思う?」
「・・ええ、と」
難しそうに頭を働かせる倉田に申し訳なさそうに手を叩いてアカヤギは質問を変える。
「ごめん、今のは難しいね。・・・120円より上だと思う?下だと思う?」
それであれば簡単だと倉田は笑顔に戻った。
「もちろん上です。下で売ったら損してしまいます」
「その通り。だからこの人は130円で売りました。この時点で株価は130円に変わる」
「・・・なるほど」
「そしてそれが繰り返されて行って・・例えばある人が300円で売ろうとするよね?でもそうするとあれって思わない?ある時は100円で買えたのに三倍だよ?消しゴムの話じゃないけど百円だったものが三百円になって、よし買おう!って思うかい?」
「いや、思わないです・・・だって百円で買えるものなのに」
「ふふ、そう・・・でももう一回百円になる時がくるかはわからない。もしかしたら皆欲しがって3000円になるかもしれない。そしたら300円の時に買う人は2700円得することになるね。もちろんそこからみんな買わなくなって株価が下がるかもしれないし」
皆欲しがるものになれば値段は上がるし、いらなくなれば値段は下がる。株はよくできているな、と倉田はメモをしながら感心したように頷いた。
「そして3000円になったときに皆が『流石にそれは高すぎるなぁ』って思い始めるとするよ?そうしたら今まで三千円で売れていた株が売れなくなってくる。そうしたらどうなると思う?」
「・・ええ、と・・・価値が下がってるんですよね。3000円で売れないなら、値下げする、とか」
「その通り!少しずつ値下げして売り始めるんだ。例えば2800円で買った人がいるなら早めに売らないと損しちゃう可能性があるからね。でも株の値段ってさっき言ったように直前の取引の値段が株価として出るんだ。2990円で売って、売れなければ2900円にして、ようやく買ってくれて。これだけで株価は下がるんだ。そして2900円になったら焦るのは2800円で買った人。もし下がったら損しちゃうから今のうちにって売ろうとする。そして少しでも売れやすいように2850円にしようとする。これならまだ儲けは出してるからね。・・・そしたら今度は2750円で買った人が焦って・・・っていう感じのイメージはなんとなくできるかな?これが株価が下がるっていうこと」
倉田は自分のメモにお手製のグラフも交、想像だけで難しい株の世界を必死に書き留めていく。
「ここでさっきの順張りと逆張りの話になるよ。さっきの例えだと株は百円から始まって120円、130円と上がって行ったよね?順張りっていうのはこの上がり始めた時に買って下がり出した時に売るっていうスタンスの事。基本の基本で話したような事だから、これは理解できるかな?」
倉田は人形のように難しい顔のままこくこくと頷いた。
「さっきの話で考えて・・・100円が120円になって、130円になったところあたりで思うわけだよ。これはもっと上がるぞ、って。だから上がり始めた時に買って、3000円で売れなくなって、2950円になって、2900円になったたりで売るんだ。これはここが限界かな、って。これが順張りで、僕も基本的にはこれでやるんだよ」
「上がり始めた時とか、下がり始めた時って・・・難しいですね、先を見る力が必要そうです」
「ふふ、そこは勉強だね・・・今は色々分析とかって言って・・こう、マニュアルみたいなものもあるから昔よりはとっつきやすいと思うよ。・・・ちなみに逆張りはさっき言ったことの逆だね。水準から下がった時に買って、皆欲しいって値段が上がり始めた時に売るんだ。株価の動きとは逆に動くから逆張りって言うんだよ」
ここでアカヤギは一呼吸置いてお酒を軽く飲んでから軽く咳払いをした。
「さっき言ったみたい値段の流れをチャートで見れるから・・・ほら、折線グラフが動いてるの、見たことない?」
「ああ、最近スマホとかにも入ってますから、見たことはあります。全く理解できませんけど・・・」
「ふふ、それは仕方ないよ。僕は結構このチャートだけを見て売買することが多いかなぁ」
「そうなんですね」
「うん、ただのグラフに見えて、これにはいろんな意味があって面白いんだよ。じゃあ株の基本を分かったところで少し先の話もしてみようか」
「・・・がんばります」
自信がなさそうな声に笑いながら、アカヤギは倉田のメモを待ちながらゆっくりと話し続けた。
「ある会社が一年後に空飛ぶ車を発売すると発表したとしよう。君は株を買うかな?」
「・・・買う、と思います。さっきの話だったらそんなすごいものが売れたら会社の売り上げも上がるだろうし人気も出そうだからすぐに買いたい、かと」
「うん、ありがと。さっき言ったようなことをイメージできてるね?・・・でもこれは少し先の話だから、ちょっと厳しくいくよ?・・・空飛ぶ車が発売されたらそれは売れるだろうし株価は上がるだろう。・・・でも、その夢の車が出るって知っているのは倉田くんだけ?」
それを聞かれると倉田はハッとして首を横に動かした。
「そう、皆もしかしたら同じことを考えているかもしれない。だから意外と最初から皆それを承知で動いてるから思ったように株価が上がらないかもしれないんだ。決算発表の時に業績が上がってるのに株価が下がっているなんてこともよくあるんだよ」
「・・・なるほど」
「安いときに買って高い時に売るというのはあくまで一般論というか、基本の基本ってだけだよ。もっとちゃんと伝えると将来その株を欲しいっていう人が現れそうだったら買うし、そろそろ売りたいなって思うひとが出てきそうだなって思ったら売るんだ」
「それは、理解できますけど・・・何で判断するんですか?」
「うん、あまり気がついていない業績の変化であったり人間心理であったりだね。例えばだけど空飛ぶ車なんてものが発表されるのは皆が気がつくけど、その前からその会社がやけに既存の開発にお金がかけられていないとわかったら?・・・何か大きいことをするのかもと期待することもできるでしょ?・・・もちろん逆も然りだけど。自分が損する前に逃げることもできるかもね」
その言葉に、本当に難しい、と倉田は疲れたように笑った。
「あの、質問いいですか?」
学校のように倉田は手をあげるとアカヤギはその仕草に笑いながら頷き、手のひらを差し出した。
「さっきから、っていうか今までも疑問だったんですけど。損するって言うのは分かったんです。1000円で買ったものが200円になったらそれは損ですから。・・・でも、よく聞く株で借金した、とか人生が終わってしまう、みたいな大袈裟な話にはならなくないですか?そりゃ損してるけどお金は返ってきてるじゃないですか」
その質問に頷きながらアカヤギは自身の顎を軽く指先でなぞった。
「そうだね、そこの説明もしっかりしなきゃ。株ならではのシステムだし。・・・株っていうのはどんどん値段が変わっていくものだって教えたでしょう?」
倉田はしっかりと頷いた。
「だからこそできることなんだけど、株って持っていなくても売ったり買ったりできるんだよ」
「・・・どういうことですか?」
倉田は自分の周りにあるものを見渡した。鉛筆に消しゴム、ノートにグラスやお酒など。
これらは株と同じで売ったり買ったりができるものだが、もちろん持っていないと売ることなどできないし、買うことももちろんできない。
フリマアプリなど今の時代売ることは簡単にできるが、実際に持っていないものを売ってしまっては詐欺になってしまう。かといって質屋などに何も持たずに売りに行くなど、できるはずもない。
「うん、正確には買ってはいるんだけど・・・その時点の値段でいつか買います、っていう風に予約をするイメージかな。例えば株価が千円の時にその予約をするとするでしょう?これで一旦株を借りることができるんだ。そして、株価が千二百円になった時に売るとする。そうしたらその売った千二百円で株を予約していた分の支払いをするんだ。そうすると二百円の儲けが出るでしょう?」
「・・・なるほど」
「そう、そして多分君の質問に答えるのもこれでわかるはずだ。例えば千円で買いますっていう予約をして、株を借りる。そして株価が上がるのを待ったけれど下がる一方で、ついには五百円になってしまった。そこで売っても手持ちは五百円。予約分の千円の支払いには足りないよね?」
倉田は大きく頷いた。物で考えればわからなかったが、株と言うのは手になくても取引ができてしまう。だから本来の自分の金額以上に損することが往往にしてあり得ると言うわけだ。
例えば、とても美味しいお菓子があったとしよう。自分がそれにハマって驚き、感動したことでこれが稼ぎになるのではと思うとする。そこでネットで大量に仕入れることにした。2万円分買うことにしたのだが、自分の手持ちが足りない。だから着払いで買うことにした。どうせ売れるから大丈夫だ、と。
そこでネットで先行予約で売り出したとする。計画としては、荷物が届く前に予約のお金を貰って稼ぎ、それで着払いを払う。そして届いたら予約してくれた人にお菓子を送るだけだ。
こう例え話にすると危ういことがよくわかるだろう。実際に売れるかもわからない上、荷物が届くまでというタイムリミットもある。
だが、株ではこれができてしまうのだ。
実際にお菓子がとても人気になり先行予約のお金が100万円になればそれで良い。だが、売れなければ着払いで注文してしまったからどうしようもない。
株での大きな損失とは自分の口座が減るだけでなく目に見えないお金も減るのだ、これで結果として借金になってしまうと言うわけだ。
「あの・・・言ってはなんですけどなんでその信用取引っていうのが存在するのでしょうか?・・・言い方は悪いかもしれませんけど、罠に思えるんですけど」
「ふふ、まぁ気持ちはわかるけどね。・・・実際に株を持っているのを売ったり買ったりするのを現物取引って言うんだけど、それだけだとしたら株ってうまくいかないんだよ」
「・・・?」
「株価って言うのは直前の取引の金額だって言ったでしょう?それにさっきから例え話でわかりやすくしてるだけで、株ってもっと高い金額を動かすんだ。そりゃそうだよね。千円を十倍にするのと、一万円を十倍にするのと、十万円を十倍にするのでは意味が大きく変わってくるでしょ?千円を一万円にしたところで喜べるのは子供くらいだ。一万円を十倍にしたら少しは感動も増えるかもしれないけど、一日中株価に張り付いて、損するリスクもあった上で十万円にするんだよ?アルバイトした方が早いよね。そしてもう一つ、さっきから売るって言ってるけど株をそもそも持ってなければ売ることさえできない。そうすると株の世界っていうのは限られた人間しか入ってこられなくなってしまう。そうして少人数になったら何が起こるかというと、株価が適正に動かないんだ。直前の取引が株価になるんだから、すぐに影響が出ちゃうってわけだね。でも信用取引があることで間口が広がっていくんだ。そうすることで売買高が上がって適正に動くってわけだね。・・・それに、信用取引もただやりたいです、だけじゃダメで。保証金だったり担保として株を預けたりするんだよ。それの預けた金額以上に損失が出たらもちろん自分がマイナスになるんだけどね」
そこまで聞いてもやはり納得はいかないのか倉田は渋々といった表情で頷くのみだった。
「まぁ、株っていうのはそれだけのリスクもあるから難しいし、怖がる人も多い。それにいくら勉強しても失敗することはあるしね」
「安い時に買って高い時に売る・・・だけなのに難しいですね」
そういうとアカヤギはうーーん、と悩んでからクスッと笑い飛ばした。
「ふふ、君のことをさらに混乱させること言わせてもらうね?」
「ええっ・・・もう、なんですか」
観念したとばかりにペンを構え直した姿を楽しそうに見ながらアカヤギは静かに目を閉じた。
「安い時に買って、高い時に売る。僕はこれが間違いだと思ってるんだ」
「ま、間違いですか?」
それは今までの話が全て無駄だと倉田が呆れたように深いため息を吐いた。
「まぁ間違いだというか・・・もっと大事なことがあるんだ。そもそもね、百万円って高いと思うかい?安いって思うかい?」
「・・・まぁ、高いと思いますよ?」
「じゃあ、新車が百万円だったら高いの?」
「・・・いや、それはまぁ、安いっていうか」
「六本木のタワーマンションの最上階の分譲マンションで百万円って言われたら、僕は幽霊とかいるんじゃないかと思うくらい安いけど」
それはずるい、と倉田も苦く笑いながらアカヤギの意見を肯定した。
「そう、それに外車の新車が百万円が君には安いって感じたんだよね?・・・でも、全く車に興味がない人が見たら、高いって思うでしょ?その逆に車好きな人が見たら安いって思うはずだよ。・・・詰まるとこと高いとか安いとかすごく曖昧なんだ。何より人の主観だからね。・・・・こと株をするっていう時はこれじゃダメだと、僕は思ってるんだよ」
「・・・なる、ほど」
「安いって、じゃあ具体的にいくらからが安いとか決まっていないよね?それに株って何回も言ってるけど直前の取引が株価になるんだ。もちろんそうならないようになってるからあくまで極端な例え話だけど・・・株価が百円のものを買ってもっと高い金額で売りますって言えるんだ。そしてそれが客観的に正しくない価格だとしてもそれを買う人が出て仕舞えばその株価はそれになってしまう。他にもあるよ。例えばある会社が何か不祥事を起こしたとしよう。問題自体は大したことがなかったのに株を持ってる人は皆それが危険だと判断してみんな売ろうとする。今以上に株価が暴落する前にね?すると実際の価値よりも株価はただ下がっていくんだ。売りが多すぎるからね。もちろん逆もあって何かに食いついて株を買いたいっていう人間がやけに集まることがあるんだ。そうすると株価は実際の価値よりも高くなってしまう。オーバーシュートって言うんだけどね」
「株は本当に単語の意味がわからなくて苦しいですね・・・。教えていただいてもその言葉の意味がわからないことばかりで」
苦笑いしながら倉田はなんとか質問を繰り返して会話を広げていく。
「自分の考えだったり客観的な評価だったり。それと実際の株の価格変動は違うことも多々あるんだ。でも、僕はそのことがだめだっていうんじゃなくて・・・それをしっかりと見極めることが大切だと思うんだよ。つまり、本当の価値がこうだから、じゃなくて。実際正しくなくても株価は動くんだから、実際の値動きに合わせるってことだね」
「本当、いろいろなこと考えてるんですね株をしてる方って」
「うん、常に考えなきゃいけないから本当に難しいと思うよ。でもね、その分大きいお金が手に入る可能性はあるしうまく行った時嬉しいものだと思うよ」
「売買して儲けを出さないといけないなら、そのやり方を勉強すること、ですね」
今の自分のノートを見て倉田は軽く笑ってしまった。アカヤギは株を知らない自分のためにあくまで概要を噛み砕いて説明してくれただけ。まだ具体的にどうなればどの株を売ったり買って良いのかという具体的な話は何もしていない。なのに、それだけで株で儲けを出すことができるような気がしてくるのだ。信用取引などの話でリスクは重々承知だし、いまだにそのシステムに好感を持つことはないだろう。だが、それでもなぜかやりたくなってくる上、勝てそうな気がするのだから不思議だった。
「一応ね、株って利益を出す方法が大きく分けて二つあって・・・。売買してその差分で利益を出すのがその一つってだけなんだよ?」
「え、これまでの話で半分なんですか?」
まだ全てを把握し切ってもいないし概要すら全て終わっていないのにまだもう一つあるのかと倉田は驚愕してしまう。
だがアカヤギは楽しそうに笑うだけだった。
「半分ってわけでもないんだけどね?一応名前だけ言うとさっきまでの売買の差額で得る利益はキャピタルゲインって言うんだ。もう一つのがインカムゲイン」
「いんかむ・・・」
倉田は聞き覚えのない言葉を鸚鵡返ししながらメモを走らせる。
「さっきまでのがその、キャピタルゲイン・・・?売買することでの利益ってことなら、他にどんな風にして利益が出るんですか?」
「うん。最初に軽く言ったんだけど・・・株には配当金っていうのがあるんだ。株を売らなくても保有してるだけでお金をくれるシステムだ」
「あ、売ったりしなくてもメリットがあるんですね!」
劇的に大きくはないけど、とアカヤギは付け足しながら頷いた。
「配当金っていうのは基本的に年に一回か二回受け取ることができるんだ。これはその会社が決めることなんだけどね。そして、今高いって言われてる会社でも配当利回りが8%くらいだね」
「配当利回りとは・・・?」
「そうだなぁ、求め方とか細かいこととか全部置いて簡単に言うと、持っている株の金額の何%もらえるかって考えてもらえれば良いかな。基本的に百株ごとにもらえる配当金の金額が決まっていて、それのパーセンテージを表しているんだ」
「えっと・・・100万円分持っていて配当利回り?が8パーセントだったら八万円もらえるってことですか?」
その通りだよ、とアカヤギが大きく頷き、倉田は嬉しそうに体の力を抜いた。
「持っているだけでそんなにもらえるって良いですね、これならリスクもないし!」
倉田は嬉々として返すのだが、アカヤギは申し訳なさそうに静かに首を振る。
「残念ながらそんな単純な話でもないんだ。そもそも考えてみてよ。高くて8パーセントなんだよ?それ以下はザラにあるし・・・もうずっと株の話とかして麻痺してるかも知れないけど、百万円ぶん株を買おうと思うかい?」
そう聞かれて倉田は確かに麻痺していた、と笑い飛ばした。テレビで高級外車の特集を見た後、家の近くの中古車屋さんをみたときにやけに安く感じられたのを思い出した。冷静に考えればその数十万円の車も非常に高いしサラッと出せる金額ではないのだが。
「それにね、お小遣い程度と考えれば良いけど、株で生活しようと考えてる人が年に一回八万円をもらえるだけで生活できると思う?少なくともかなり節約しても一ヶ月生活できる人の方が少なくないかな?」
家賃、光熱費、食費。必要な費用だけ計算しても八万円で賄えるのは少数だった。もちろん倉田にもそれは当てはまらなかった。
「仮に八万円で生活できたとしてもそれは一ヶ月でしょ?一年なら96万円必要だ。高いと言われる8パーセントの会社だとしても1200万円分の株を持っていて初めて96万円もらえるんだよ?頑張って節約して一ヶ月八万円で生活するために1200万円投資できるかなって話だよね。もちろん不労所得ではあるからそこに魅力を感じる人間がいてもおかしくはないけど、さ」
倉田はそのはっきりしない言い方にも共感できた。
極論人の考え方はさまざまであるが、一千万以上かけて不労所得を得て、ギリギリの生活をしようとは思えなかったからだ。
「それにね、例え1200万円分株を保有していても、一生96万円を毎年くれるわけじゃないんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「うん、株の価値って変化するって言ったでしょ?1200万円分株を持っているってわかりやすく言ってるけど、もっと細かく言うとそれはその時の価値でしかないし、1200万円の株を一つ持っているわけじゃないでしょ?例えばだけど株価が百円の株を12万個持っているだけだよね。株価が下がるって言うことは一つの価値が下がることだから・・・もし1株90円って十円下がっただけでも、持っている株は一気に1080万円になっちゃうんだよ。配当金は百株いくらとかで決まっているから受け取れるけど、持っている株の価値が120万円も下がっていることになるんだ。これだと含み損って言って、配当金だけじゃなく全てに目を向けたら損しているかもしれないんだ。・・・だから一生それだけで生活しようと思うのはなかなか難しいことなんだよ」
もちろんそれにも攻略方法はあるけど、とアカヤギは難しい顔をしながら呟いた。
「えっと、これはさっきと同じで少し先のお話だからこんなのもあるんだ、程度でいいよ?別に倉田くんの記事で株を勉強したいって人もいないと思うし」
一つ前置きしてからアカヤギはゆっくりと話し始める。
「そもそも配当金は、年に一回か二回の会社が多いって言ったでしょう?それを受け取る条件があるんだ。その会社の決算時に株主として名簿に名前があることだね」
「・・ええ、と」
「難しい言い回しでごめんね?要は、会社は決算の日が年に一回か二回あるんだ。これはさっき言った支払いする回数と同じだね?中間決済とかを入れる会社があれば回数は増えるってこと。・・・そして、その名簿に名前が載るっていうことがルールで、決算の前に権利確定日っていう日があるんだ。これはその会社とかのホームページとかで確認できるんだけど・・・」
聞きなれない単語が相変わらず増えてきて、倉田はメモを走らせながら真っ直ぐにアカヤギを見つめ直した。
「ほとんどの会社は四月一日から翌三月末までの動きが多いんだ。権利確定日は上半期末の九月末だったり年度末の三月末が多いね。この権利確定日に株を持っているっていうことが条件なんだけど、これにもまたルールがあって・・・。配当金を受け取るためにその時だけ株を買いますっていうのは全然構わないんだけど、それは当日じゃ遅いんだ。株式のルールで、証券取引所のルールで株を買ってから株主になるまでには4営業日かかるんだよ。だから、権利確定日の3営業日前には株を持っているっていうことがギリギリのラインだね」
それ以降は権利落ち日と呼ばれるよ、とアカヤギは言葉を付け足した。
「権利確定日の前の日とかに株を買っても権利はもらえないから、そのまま持ち続けるか売ってからまた買い直すとかしてまた次の権利確定日を待つことになるね」
「なるほど・・・でも、それってかなり良心的ですね」
倉田の言葉にアカヤギは笑顔のまま軽く首を傾げた。
「どうして?」
「いや、刻々と株価は変わるとはいえ思い切り落ちることってそうそうないのかな、って。だったら株を買って配当金もらってすぐにまた売れば・・・配当金分下がるようなことがない限り安心してられません?もちろん資金は必要ですけど」
倉田の意見に頷きながらアカヤギは静かに手を振った。
「・・・うん、それは正しい考えだ。でもね、そう簡単じゃないのが株でね?・・・例えば、僕と君がそれぞれ同じ株を同じだけ、そうだな。お互い千円の株を一つだけ持っていたとしよう。違うのは、僕が配当金を受け取れる時に買っていて、君は権利日以降に買ったということだけだ。これだと同じ株なんだけど、配当金でもらった金額を踏まえると、二人の株には一円の差があるよね?配当金をもらえるか否かで。同じ株なのにそういうのが存在しちゃうからさ、理論的には配当金の支払い後って配当金の分だけ株価が下がることが多いんだ」
そういうものなのか、と理解はせずとも納得した倉田はゆっくりと二度頷いた。
「あ、じゃあ・・・配当金をもらうために買っても同じくらい株価が下がるってことは・・・あまり意味がないってことですか?」
「そういうこと。もちろん理論的にっていう話だからそうならないケースもあるけどね?でもそういうことも多いから、配当金を受け取ってすぐ売っても結局足し引き0っていう可能性があるから簡単じゃないんだよね」
「はぁ・・・本当聞けば聞くほど難しいですね株って」
苦笑いしながらも倉田はメモをゆっくりと書き終えた。
「ふふ、頭を使うのが好きっていう人は意外といるけど、株が好きなんだよーっていうのはあまり出会わないよね。もちろんトレーダー界隈以外での話だけどさ」
「・・・僕も、狭い世界かもしれませんけど、色々な人と会う機会は多かったですけど、株に詳しいっていう人はいなかったですね・・・もっと言ってしまえば金が儲かる、っていう意味以外で株に興味がある人もそんなにいなかったような」
違いないね、とアカヤギは笑って頷いた。
「本当に、よくチャレンジしようと思いましたよね」
「うーん、そうだね。僕の場合はチャンスと思ったんだよ」
「・・・チャンス、ですか?」
「うん。最初は何か打ち子以外に稼ぐ手段を探していただけなんだけど・・・」
そう言いながらアカヤギは先程までの教師のような顔から過去を懐かしむような優しい表情になり、ゆっくりと上を見上げた。

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