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未来において、ヒトが創造するアートの価値は上がるのか

かきあつめの今回のテーマは「アート」。今日はテクノロジーが発展しAIが身近にある未来において、”ヒトが創造したアートの価値は上がってるか”について考えてみた。

結論から言うと、僕は「上がる」と踏んでいる。もう少し書くと「ヒトが創造する量は減るが、価値は相対的に上がる」ではないかと。僕の妄想ベースの考察になるが、AIやSF、デザインの仕事に興味がある人などは読んでいってほしい~。

※今回は”アート”を広義な意味でとらえており、デザインもこれに含めることにした。あしからず。

機械が人の代替をする時代、デザインはAIが決める

いきなりだが、AIを用いて”実在しないモデルに実在しない服を着させる”ということはもう既に実現していることをご存知だろうか。つい最近、本間ゴルフという企業が自社商品を架空のモデルにコーディネートしたことによりニュースになった。

どうだろう。こうみているとファッションは大衆向けのデザインのシンプルなものが多く、モデルも”その辺にいそう”と思えるような人達ではないか。奇抜なファッション・明らかに目立った人はいない印象だ。

実はこれ、仕方がないのである。AIについて詳しくない人もいると思うので説明するが、AIは膨大なデータを読み解きそれっぽいものを作ることは得意だが、まったく新しいものを生み出すことは苦手だ。今回の作品もアルゴリズムをもとに”それっぽいデザイン”を計算しただけであり、まったくゼロから作り出したわけではない。

昨年、ニューヨークの絵画オークションでAIが描いた絵が4,900万円で落札されるというニュースもあったが、これも同様である。14世紀から20世紀に描かれた肖像画1万5000点という膨大なデータから”それっぽいもの”を作り出しただけなのだ。この作品はセンセーショナルであることに価値があるので、AIが作った絵にこれだけの金額がかかることは今後ないだろう。

ここまでくると、「AIはゼロから作り出すことはない」「ヒトでしかアートを作り出すことはできない」という観点から、「ヒトが創造するアートの価値は下がらない」ような気がしてくる。

しかし、問題なのは「AIが作り出したものにもそれなりに価値を見出していること」である。

宇宙船に絵画は飾られていない

いきなりだが、よくSF映画にでてくる宇宙船というものを思い浮かべてほしい。

どうだろう。直線と曲線がおりなすシンプルな空間に、ピッチピチの銀色のスーツを着た男女という印象ではないだろうか。ドレッドヘアーやパンクな奴がいる印象は薄く、通路に絵画は飾られていない。みんなが均一のデザインの元にあるような気がしてこないだろうか。

もちろんパンクがいたら未来感がブレるからなのだが、それ以外にも「未来人は現代人以上に合理的である」ことを表現したいのだと思う。

それについて、僕は10代の頃からなんとなく違和感を覚えていた。「ヒトは豊になればなるほどアートに価値を置くのでは」と思っていたからだ。AIが仕事の大部分をするようになった未来。ヒトは時間を持て余し、芸術にエネルギーをかけるようになるはずだ、と。

だが、最近はまた考えが変わってきた。「もしかしたら、ヒトはどんどん合理的化へ突き進むかもしれない」そして、「未来において、アートの価値は全体的に下がってしまうのではないだろうか」と思うにまで至った。

合理的な世界で、アートに価値はあるか

これも僕の感覚的なものだが、現代の人は極端なデザインを好まない印象がある。特にファッションにつては分かりやすく、スティーブジョブズの影響だかわからないがシンプルなファッションが目に付く。

シンプルなデザインは楽だ。尖がったデザインは人を選び大量生産しづらいのに対して、シンプルなデザインは工業ラインにも乗せやすい。2000年代初頭はユニクロを着ていると「ユニバレ」と言われ小バカにされたが、今はユニクロでいい時代だ。安いし、価格なりの製品であればよい。人々が合理的になった結果であろう。

もちろん、現代のユニクロのシンプルなデザインには、超絶プロフェッショナルな匠の技が入っている。僕が警鐘を鳴らしたいのは、今後AIによって「それっぽいデザイン」が量産されるであろうことである。

今は匠の技の上にあるシンプルでスマートなデザインであっても、AIの圧倒的な物量とスピードで作られる仕事に、ヒトのデザイナーは勝てるのであろうか。一般消費者はヒトが作ったものとAIが作ったものとで、違いを見出してくれるのだろうか。

今回は分かりやすくファッションについて述べたが、他の分野についても同様だ。簡単にアニメキャラクターを作るAI動画に合わせて自動で音楽を作ってくれるAI高校野球の戦評記事を即時作成するAIなど、それっぽいものであったら既に十分できている。

「それっぽいもので良くない?」という合理的な思想が進んだ世界では、すべてのアートがAIに創造されてしまうのではないだろうか。

両極端な世界がくる

もちろん、すべてのアートがAIに創造されることはない。先ほどから言うように、AIが得意とするデザインは「普遍的なそれっぽいデザイン」であって、尖ったデザインはヒトでしか作れない。

また、AIによる創造が当たり前の世界では、ヒトが作ったというだけで価値になる。AIが苦手とする尖ったデザインであれば尚更だ。

さらに、今はまだデザイナーという職業が成り立つが、今後AIをライバルとするこの職業は一部の成功したデザイナーしか生き残れない可能性が出てくる。

これが最初の「ヒトが創造する量は減るが、価値は相対的に上がる」と言った理由である。

このような世界では、世の中に出回るデザインはAIが作った安価なデザインか、ヒトのデザイナーが作った超高級なデザインかの二極化が進むだろう。また分かりやすくファッションで説明するが、AIが自動で作成した大衆向けの服はより安価で普遍的なデザインになり、ヒトのデザイナーが作った服は今以上に高級になるのだ。

絵画や音楽などについても同様だ。ヒトが作る量は減り、AIが作った安価でそれっぽい作品か、一部のアーティストが作った高級な作品に大別されるようになる。そうなるともちろん、お金がある人しかアートに触れることはできないだろう。

こんな世界になったら、僕は個人的に寂しいなぁと思う。

全人類がアートを楽しむ世界が来てほしい

今、AIはあらゆる分野に力を伸ばしてきているのだが、人々が「あぁAIでもいっかな~」と思った瞬間にその浸食は急速に進んでいくだろう。

それっぽい絵、それっぽい音楽、それっぽいファッション。

「安いし、みんな同じようなもんだし、それなりな品質だし、まぁAIでもいいよね。」

その判断を否定はしないが、そればっかりだとあらゆるアートが萎んでしまうし、お金があるひとしか享受できなくなってしまう。なにより皆が似通ってたら楽しくないと僕は思う。

全人類が未来でも絵画や音楽、文学、ファッションを好きなように選択できる世界が、僕は来てほしいと思う。そのためには、人々が”それっぽいもの”で満足せず、きちんと作品に目を向けるということが大事になる。

皆が少しずつ意識をするだけで、未来のアートの可能性はより幅広くなっていくだろう。


記事:アカ ヨシロウ

※扉の画像はOBVIOUSWebサイトより

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