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サラリーマンを辞めて、夏休みが苦手だったことを思い出した。

かきあつめのテーマは「夏休み」。子供の頃を思い返してみるが、毎日ダラダラと過ごす日々が退屈だからだったのだろう。僕は夏休みがそんなに得意ではなかったようだ。

当時の僕が、夏休みに何をしていたかが思い出せない。1人でテレビゲームをしたり、友人とどっかで遊んだり。海も山も毎年1回は行ったか。それ以外の時間は部屋でマンガを読んだり、寝てたり、まぁそんなもんだろう。

友人といた時間は覚えているのだが、1人のときの時間の過ごし方が思い出せない。今より確実に1人の時間は多かったはずなのに、さてどう時間を過ごしていたのだろうか。

僕は今30歳を過ぎて10代並みの夏休みを過ごしている。定職もなく、朝はゆっくり起き、奥さんが家で仕事をしているので外でチンタラと1人で時間を過ごし、夜になれば床につく。僕のライター仕事もマチマチだ。

悠々自適といえばそうなのだが、張り合いがない。勉強などやりたいことはいっぱいあるが、急いでないのでガッツがでない。気分転換をすれば元気になるかと思うのだが、1人で楽しむ方法を忘れてしまって、仕事も遊びも中途半端になってしまうのである。

途方に暮れたので当時入り浸ったゲームセンターに行ってみるが、なぜか昔のように楽しめない。単純にゲームが変わっているのもあるが、「こんなことやってても仕方がねぇな」と思ってしまうのである。そして「あれ、そもそも俺ゲームそんなに楽しんでなかったな」と思えくる。

マンガもそうだ。読んでみると最初は楽しいのだが、だんだんと「あぁ、当時はこれ以外に選択肢がなかったから読んでいたんだな」「こうやって学校が始まるまでの時間を潰していたんだなぁ」と思えてくるのだ。

学校が好きなわけではなかったが、もしかしたら学校というシステムは僕に合っていたのかもしれない。毎日定時に学校に行き、決まったカリキュラムで授業を進め、その中で一生懸命学ぶ。そんなルーチン(枠)が僕には合っていたから、ルーチンのない夏休みが苦手に感じたのではないかと。

そしてなにより、学校に行けば友人がいて、彼らがいるからこそ切磋琢磨ができたのだと、サラリーマンを辞めて強く感じるようになった。

今はフリーランスとして仕事をしているが、サラリーマンのように仕事の枠があるわけではない。上司に怒られることもなければ、部下の面倒をみることもない。すべてのことを自分1人でやらなくてはいけないが、そのぶん自由である。これは僕みたいな人間にはノビノビしすぎてしまう環境のようで、終わりのない夏休みを過ごしている感覚に陥ってしまった。

サラリーマンをやっていたときにはあれだけ渇望していた夏休みだが、いざ手にしてみると僕には苦手な代物のようだった。子供の時から分かっていたことなのに、あぁすっかり忘れていた。

最近はまた夏休みのない世界へ戻ろうかと考えている。

記事:アカ ヨシロウ
編集:鈴きの彩子

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