孵化



誰ひとりとして
ここであったことは話さない
虫たちが声をならし
庭が波打つのを聞いていた日に
わたしたちは羨ましくて
託すように口を開け
羽を摺り合わせるようにして祈った
指の先端が誰かとの境のように
冷えた風を纏っていた
握った手の腹だけが赤く染まって
乳児よりも温く命を孕む

ひとりが黙っていることを
たしなめるように
熱が喉を舐る
話せなかった言葉は腹を膨らませ
卵として纏まることがあった
唾液の絡んだ状態で吐かれる独り言は
性を知らず
孵ることもなく
殻の中で腐っていく
殻を割ると生きていないそれらに
わたしたちは強く線引きをして
けれど言葉を交わすことで
四日目には心臓ができるその卵を産もうとした
影が落ちるようにあたりまえに
対話によって何かを産めると信じて
大半は心臓が拍動したあと死んでしまい
会話の五行目だけが残っていた
わたしたちは
話すことをやめてしまって
それでもたまに猫のように嗚咽した

皮膚は明るさよりも多感で
目配せは感想よりも饒舌だった
手話と書記を綿密に織り
全員が手記を作り過ごした
あなたの肌は薄く
わたしよりも寒さを語るから
間違えて触れてしまいたくなる
卵はおそらく生きていなくて
しかしその不気味な様態に
それでもと並べた言葉が浮かんでいるのを視認した
手に手を重ねると
甲に青い血管が透ける
声の先を使って触れようとするとき
皮膚よりも奥に届けられる気がした
ことを思い出した
思い出しただけだったけれど

木目を滑る昼の日差しが
指先を白く差す

頬に触れそうになったとき
あなたとわたしの間を通りぬける風を
わたしだけが操作できるような気になって
触れることで止むのを見届けた
どこまでも場が広く続いていくような心地がして
のみ込んだ音が喉を通った
頬が指先に熱をうつすから
喉元をあたためる
飽きもせずに口を開いて



現代詩手帖2024年5月号選外佳作(山田亮太さん選)

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