断髪が厳罰だった私の時代

私の人生のディレクトリから既に除外されていて、「前世」にも分類されないもはや白亜紀のようにもやがかった「大きな恐竜に抱く恐怖」ぐらいの遠いありがちな記憶のことだ。

今でこそ付き合いの長いスタイリストさんが丁寧に整えてくれる私の髪だが、小学生の頃は「習い事をやらなかったら丸坊主にしてやる」という部類の母にとっての「厳罰の象徴」だった。

まあ割と「子供のアイデンティティを奪う」とかは世間の言う悪い親にありがちな手法で、特に女児は女性性を出した瞬間に母親に嫌悪を示されるとかは割と聞く。
母の気分で適当にザクザクと刃を入れられ、自分のものじゃなくなっていく自分の髪の毛が嫌いだった。ただでさえ私の髪の毛は癖が強かったりつむじが多かったりして適当に切ると更にもちゃもちゃになるのに、キャベツを切るようにザクザクと雑に刃を入れる母の手が怖かった。
自分の髪の毛が自分のものだった時代が無かった。
高校になり一人暮らしを始めて、ヘアアイロンを買い、髪を染めてようやく自分で自分を征服した気になった。大人になって自由に美容院に行くようになってからは、自分の頭に対して「自分の髪はこうでなきゃいけない」何かを「殺してやる」という強迫観念のもと、頻繁に美容院に行った。楽しんで髪を触れるようになったのはだいぶ最近のことだ。

どっかの部族が一本一本髪を抜くという儀式のテレビを見て母が「あいつの髪もやってやりてー」と悪態づいていたのを私は聞いていた。
母にとって私は「お前」であり「あいつ」であり、「私が生んだんだから好きにしていいんだ」と叫ぶ付属品だった。付属品が髪を伸ばしたがったりスカートを履きたがったり、メゾピアノ(ナルミヤ・インターナショナルの女児向けブランド)に憧れるのは許されなかった。母は幾度となく自身の育ちの不満を私に語った。それは母の「自分に許されなかったことを子供に思い知らす」という自身のトラウマの追体験だった。

今思うと、大卒の癖に、恵まれた育ちの癖に、私の母親は精神が貧困で、馬鹿そのものだなと思う。私は母親の子供であることをとっくの昔に放棄したし、母親も私の親として不充分過ぎ、人の親として不適切過ぎ、また「ニンゲン」として見たときに「未成熟」過ぎる存在であった。人間として母親を認めると、母親としての「母親」が否定できるし、母親として「母親」として認めると私が否定されるためて、私の人生でいなかった存在として扱っている。

もう母親と生活が分かれて人生の半分が過ぎつつあるし、記憶もぼんやりとして人生を生きるにあたり特に私にとって関係性のある人間では無い(白亜紀に分類されるのはそれぐらいもう遠い、という意図である)

まあ子供時代にいやいや髪を切られる、なんて体験は割とどの人もありがちなことかなと思うが、電気シェーバーを片手に追いかけられ、広い家を頭を抱えながら逃げ回るとか、髪を掴まれて廊下を引きずられるとか、そういう体験は誰にもしてほしくないものである。

足がすくんで震えて動けないのに、もつれながら走らなきゃいけないあの感覚を、もう思い出したくないと思うのだが、まあまあ夢に見る。睡眠導入剤はそういう夢から救い出してくれる。

結論として母親の葬式には行かない、それだけだ。

おわり。

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