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株式会社ドワンゴを退職しました(5年前編)

もう5年前か6年前か定かではない、自分の中では「前世」ぐらいのディレクトリで保管されている記憶なのですが、約5年前に株式会社ドワンゴを退職しました。

ドワンゴについて書くというよりは私の人生の話になってしまうのと、上司個人への話になってしまうことを先に書いておきます。あと給与形態などはもう5年前なんで、参考にすらならんと思うので書きませんし仕事内容(通常業務)についてはめっちゃつまらなかったので特に触れません。

大変若かった(20〜21?)ので、自分がとても子供だったなと思う部分もありますし、勤務態度や勤怠など様々な反省点もありますが、もう時効だろと思うので当時のことを少し書きたいと思います。

当時、家庭の事情で大学を中退した私は株式会社ドワンゴのモバイル部門に入社し、所謂QAQCといわれる品質管理の部署にいました。

ここの上司が結論から言うと最悪で、当時の私(低血圧、Web系の人間の例に漏れず朝が苦手)が朝に真っ青な顔で出社すると「彼氏と喧嘩したの?」とか聞いてくる人間でした。
肌にできたニキビや服装、髪の色(就業規定に沿った見た目をしていました)について指摘をしてくるような人間で、一度私が美容院で髪染めを失敗され翌週出社すると「もうちょっと髪の毛お手入れしたら?」とか言ってくる人間で「じゃあその分の金出してくださいよ」という会話をした記憶があります。
一番堪えたのは出社して即会議室に呼ばれ、「お前のここが良くない」という話をホワイトボードを前に延々とされたことです。まるでステルス査定面談でした。当時はそういうもんだと思ってお手洗いで泣きましたが、今思うと恐ろしくマネジメント能力のない人だったなと思います。そのステルス査定面談で恐ろしく絶望した私は「えっ…じゃあ逆に良いところを教えてください」とその上司に聞きましたが、何か言われたけどよく覚えてませんし、今となってはどうでも良いです。一度まあなんか流石に部署替えがありその期間は安心して仕事ができましたがその後戻されてオゲーって感じでした。チームで働いている人も苦手でした。
この上司の人は部署内では2番目の上司で、最初の上司の方は普通の方でしたが、この2番目の上司だけ異様で生理的に受け付けませんでした。今この方がどうしているのかは不明です。

私は今もですが業務日報を勝手に書く癖がありまして、大体その日にやったタスクや翌日必ずやることなどを記載しているのですが、当時は自身のEver noteに書いていました。内容が自然とその上司とのエトセトラになりました。そのうち玄関に鞄を叩きつけて朝から号泣したり蕁麻疹が出て半袖が着られなくなったり出社が困難な日々が続き、カゲプロのアニメが転け、カドカワドワンゴができるタイミングでもうこの仕事つまんねーという感じで会社都合で退職することにしました(もう出社すら拒否するレベルだったことや雇用保険が出るのが早いことを踏まえて会社都合にしてもらえたことはとても幸運でした)

以上がドワンゴに勤めていて嫌だったことです。こんなことばかり書くとブラック企業のようなので、補足しておくと、当時のドワンゴは上場企業だったので、エンジニアの自由な発言によるモラルハザードが起こりつつもコンプライアンスに関してはキチンとしていました。退職時にコンプライアンス委員会に上司の諸々を報告したところ、男性の社員の方と女性の社員の方が何回も時間をとって話を聞いてくれ、社内で共有すると約束してくれました。

私も当時は結構な攻撃性を持った偏屈屋だったので、扱いづらい部下だったと思います。そのせいか知りませんが、今の同職種の募集求人に「人の意見を素直に聞ける方」という項目が追加されていて笑いました。

基本的に上述した上司以外はまともな?人が多く、良い人間関係を築けている人がいましたし、そういった人とは今でも交流があります。今でも顔を合わせるドワンゴ社員の方や元ドワンゴ社員の方にはとても良くしてもらえ、感謝しています。色んな社員の方に退職時にすごく惜しんでもらえ「東田ちゃんならどこでもやっていけるよ」と励ましてもらいました。言わずもがな優秀なエンジニアの方も多く、そう言った方々の仕事を見ながらハッカソンや勉強会に参加させてもらえたのが人生の中で大切な経験になっていると思います。色んな人の技術に憧れを持ちました。アイデア出しのブレストに出させてもらえたときもすごく嬉しかったです。

後になってこれは最もたる自分のキャリアの原点だなー、と思うことなのですが、当時のドワンゴはニコニコのプレミアム会員が登録者数200万人を超えたとかでお祝いムードのときもありましたが、基本的にニコニコの後続のサービスが出てこないということで伸び悩んでいました。
そこで新規事業の社内公募を行なっており、社員が自由にアイデアを付箋で貼っても良いというホワイトボードがオフィスにありました。社員が付箋を貼ると、新規事業を担当している部署がそれをチェックし、偉い人に共有してフィードバックをくれるシステムです。
「うちの猫が太る」だの「もっとお菓子が食べたい」などカオスな付箋の内容もありましたが、中には真面目な新規事業のアイデアもあって、大学を辞めたことや上司のこと、様々なことで鬱屈していた私は現実逃避のように週に2〜3枚そこにアイデアを提出していました。社員の中でもかなりの頻度でした。ゲームや音楽アプリの内容が多めだったかなと記憶していますが、どのようなユーザーに対しどんな価値を提供し、どういう利益を生み出したいのかという点を記載しており、今思うと事前調査や要件定義がしっかりした内容だったと思います。
そこに偉い人から付箋でここが良いとかこれはXXの関係上難しいとか、具体的なフィードバックが返ってくるのがドワンゴで一番嬉しい瞬間でした。生きている感じがしました。ホワイトボードを見ることだけが楽しみで、Webが好きだという気持ちだけで生きていました。そのとき別の上司が「いいもの持ってるよね」と褒めてくれたのを覚えています。

ニコニコ超会議や超パーティ、なんか豪華な忘年会などあんまり普通の会社ではできない経験もできたし、女子マネなんかはだいぶ叩かれましたけど、当時社内にいた女性社員としては「メイドカフェのOBをわざわざ女子マネという雇用条件のもと個別採用してるんだから別に良いんじゃないの」っていう気持ちでした。女性の華やかさを売りにした職業なんてごまんとありますしね(それをWeb企業に導入してキモいと言うかそうでないかは人による好み)割と私は面白いなって思っていました。たまに一般女性社員にやらせてると勘違いしてる世間の反応が一番嫌でした。

まあそういったおふざけ文化とエンジニアの高い技術力が上手い具合にバランス崩壊しつつ混ざっている社風で、私はそういった意味ではドワンゴがとても好きでした。エンジニアファーストな姿勢も尊敬していました。非開発職なので、エンジニアチーム内のことは分かりませんが、とにかく技術が好きになれたのはドワンゴのおかげです。

その後ドワンゴを退職したあとしばらく何もできませんでしたが、Webの技術が好きだったのでそのあたりの勉強をしてみようかなと思い学校に行き、PHPからJS,Rubyを触りましたが「これは向いてないわ」と早々に見切りをつけフラフラしていました。

その後、艦これが当たりじわじわ賑わっていたDMMという会社に雇われWebディレクターとなり、そのDMMも退職しDMMの元同僚と結婚し、26歳の今に至ります。

DMM社で結局認められたのは、ドワンゴで蓄えていた要件定義力であったり、提案力だったと思います。DMMに入社当時の上司は私の提案やWFなどを見てとてもよく褒めてくれる方で、当時前の上司で自己肯定感がゴリゴリに削られていた自分にはすごく新鮮な体験でした。「こんなことで褒めてくれるの!?!?」みたいな。何一つ無駄な経験はなかったなと当時の自分を評価してあげたいです。

大企業の退職エントリが出るたびに思うのは、大企業は人数も部署も多いので、たまたま接した人間が,プロダクトが,チームが腐ってただけ、というパターンも多いです。大きい会社になればなるほど人によって感想が変わるのは当然だなと思います。基本的にドワンゴもDMMも母数がでかいので悪いにんげんも良いにんげんも一定数いて、社風でどっちが目立つかなんてところもありそうですね。DMMは結構長く勤めたから言いますけど、すごく良い人が多かったです。なんかまあ人生について語っちゃった感がありますが、そんな感じで生きてこれました。

最後に宣伝ですが、にんげんがへたエフエムというPodcastをやっているので是非聞いてください

おわり。



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akazunoma

// 1992.08.26 // 東京都 // Webディレクター 現在はフリーランスとして活動中 // 職歴 合同会社DMM GAMES 株式会社バカー 株式会社ドワンゴ
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