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静寂は無限の豊かさのみなもと

僕は"The Sound of Silence"の歌詞が好きです。(リンクは僕のTwitter。曲の紹介と内容の解説が掲載されています。機械翻訳で読めます)

僕はまた君に会いに来たよ・・・と静寂に語りかけるところから曲は始まります。

商業的な騒音は誰にも届かない。うるささは何も生まない。意味も持たない。これまでの数年、押し付けられ、自分で判断できず、判断する時間も与えられずにあせらされ、やりたいこともやれず、やらされたことは全部有害なものだった。それじゃ疲れ果てて当然。

最後の歌詞に正解が。大切なことは地下鉄の壁や安宿の廊下にだって静かに示されている、と。

静けさは無ではなく無限。無に何かを聴く心が豊かさを生む。"The Sound of Silence"はそういう意味だと思ってます。

近代文明のうるささの中の人間の孤独を歌うという意味とは違う僕のポジティブな勝手な解釈です。個人の感想。うるさければうるさいほど静けさを求めさえすればコントラストよく豊かな空間を作ることができます。


茶道は日本の優れた文化

利休四規に和敬清寂というものがあります。

茶室の静かで涼しく落ち着いた静かなその空間で感じる和敬清寂の四規や利休七則も良いものです。
 
長い長い時間のをかけて人々が磨いた日本の文化。 

道具や空間はいくらでも作れるけれど入れ物の中を埋めるのは人の心です。心さえあれば朽ちた木の根元にあいた大きな穴でも、洞窟の中でも、みんなで雪で作った白いかまくらの中でも茶室になります。掘立てごやだってプレハブでも楽しめる。人の心の想像力は無限です。

食事会も結婚式も何もかも同じ。質素でも豪華でも内容が大切。

例えば何かで世の中が焼け野原になってしまっていたら咲いていたデイジー1輪を大好きな人から渡されれば、その時その場所がきらめく場所に変わります。その周りが豊かな空間に生まれ変わります。そして豊かな始まりの時間として彼らに記憶される。

イヤイヤやる豪華な食事会は美味しくないし結婚式は虚しいだけ。早く立ち去りたい気持ちになるかもしれません。豪華なステーキも美酒も楽しめないしおいしくない。

茶室も金箔の高価な茶室では落ち着かないかもしれません。生き残って集まれたお茶会ならプレハブでも無限の豊かさを感じるかもしれない。人間の感覚はそういうものです。

私たちは商業主義の物販のコマーシャルCMがあふれる世界の中に暮らしています。必要ない薬も押し付けられたりします。

和敬清寂の寂は静寂の寂 
茶室の小さな無音の空間に無限が広がる豊かな世界や空間を感じる人間の感覚を忘れないようにしようと思ってます。 

子供達は小さな世界のごっこ遊びに世界を感じます。僕は子供の頃地球儀の上や百科事典の写真の上を模型の船や飛行機、ミニカーを走らせていろんな大陸の人々に想像をめぐらしていたことを覚えています。その世界の国々に移動した気分になっていました。

大人たちはいつしかそれを忘れてしまいます。

詰め込まれたもので頭が満杯になってしまいます。 

僕は静寂による脳のリセットと自分の心の自律性のリブートをすることを心がけています。豊かさのみなもとのような気がするからです。

瞑想めいそうする方もいらっしゃるかもしれません。

僕は静かに早朝染め物をしたり、ランニングしたり、パン焼きを始めたり単純だけど無音の静かな独りで行う作業をすることが脳のリセットになります。

こんな歌詞が続きます。
"Fools," said I, "You do not know Silence like a cancer grows
Hear my words that I might teach you
Take my arms that I might reach you"
But my words, like silent raindrops, fell and echoed in the wells of silence
僕は声に出して言ったんだ
”愚かな人々よ静寂は癌のように蝕んでいく。どうか大切なことを伝えているかもしれない僕の言葉を聞いてほしい。君に差し伸べるかもしれない手をつかんでほしい。でも僕の言葉は無音で降り注ぐ雨粒のように静寂の井戸の中にこだまして落ちて飲み込まれただけだった”

人々が人の心や言葉を騒音の中で聞かなくなること、聞こえなくなること、言葉を理解しようとする聴力を失うことは絶望と孤独を生み出します。

お互いががなりあってCMがスパムのように流れる中にあっては、どの言葉も意味を失います。消費財にもならないホワイトノイズにしかならない。

静けさの中が持つ無限の可能性に気がついて少数の言葉を大切に人に伝えるようにすれば、静寂を人々に暗黒をもたらすマイナスと考えて蝕まれることもなくなります。

歌詞の中には、無意味で無価値な派手なネオンや繰り返し流れる宣伝報道のに偽りの神や虚構にひざまづく人々が出てきます。自分を見失ってしまって無意味に自動的に夜の自販機に集まる虫のようです。本当は生きるために月の光を求めるように作られた本能が、自販機の光を月と間違えて絶命し乾燥していく虫たち。

私たちも自分のペースでゆっくりで良いから自立して、自分で考えないと自販機に引っ張られて人生が終わってしまいます。静けさはその力を蘇らせてくれます。

この数年間繰り返し流されてきた虚構はそのまま消えて行こうとしています。最初に何回も話していた人々も変節していなくなりました。ただの物販のセールスマンや広報にすぎませんでした。

見る能力聴く能力を研ぎ澄ませれば、歌詞にあるように実は人々が無視して通り過ぎてしまう地下鉄や安宿の廊下の落書きにも大切な予言が書かれているかもしれません。

自律して能動的に聴く耳を持てば、静寂の中の大切なことに気づけるかも。

私たちは自然界の中に豊かさを感じます。海も山も風も美しい星たちも何も語らないけれど私たちは自然の静けさの中に無限の豊かさを感じることができます。

私たちが自分で必要なものを考えて大切なものを得ようとする「能動的な自立した脳」が豊かな人生を作り出すと思っています。自分でやった物事はかわいく愛おしく(いとおしく)感じるものです。

自分で考えることを禁じられ詰め込まれて焦らされてあれこれ指図を受けて右往左往して暮らしていた気持ち悪い日々はおしまい。

僕は時々静けさの中で心を落ち着かせて、自分のペースを取り戻して暮らしていこうと思っています。

僕が"The Sound of Silence"の歌詞が好きなのはそういった理由です。



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