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知的好奇心のすすめ

「不穏」や「魅惑」や「不思議」というキーワードについてよく考えています。それらは善でも悪でもなく、正でも負でもなくそこにあって、見えない力で絶えず私をその世界に引き込んできます。このようにどうしようもなく考えてしまうこと、好きでしょうがないことというものは一体どんなものなのだろうという問いが生まれてきました。人の好奇心を刺激するもの、そしてその世界を魅了してやまないものが持つエネルギーとは何なのか。

「知的興奮」と「知的好奇心」は違う

そこで二つのキーワードが出てきました。それは「知的興奮」と「知的好奇心」ということ。
知的興奮は即時的な経験によって起こる、即時的な知的高揚のこと。これは様々な理由で生じます。一方で知的好奇心というのは、そのものごとを入り口としてより深く、広くを知りたいという主体的な気持ち。自分を更なる知へと後押ししていく原動力です。自らの実践によって学び、得ることができる知がより広く、深い実践を触発する。

誰かの話す言葉に感じる「重み」を感じたことはあるでしょうか。触れた言葉の奥に眠る未知に心が震わされる感覚は「魅惑」そのものです。脳裏に閃光がほどばしるような、或いは臓器を掴まれた気持ちになるような、或いは全身に血が巡るのを感じるような、それらを受けた瞬間の身体的感覚は知的興奮であると言えるかもしれません。

重さのある言葉の裏側には、数え切れないほどの人や時間を経た実践がある、と言います。知はそれらの実践によって得られるものであり、知的興奮を引き起こす要因、つまり目的としての知とは異なるエネルギーを持った存在なのではないでしょうか。

世界を面白がること

知的興奮のある知的好奇心というものもあるはずです。けれどここで言いたいのは、知的好奇心には終わりがないということです。

街を歩く、本を読む、誰かと出会う。何かを知るということは、それを知らない自分自身をも知るということ。私たちは世界からの反射なしには私たち自身を知ることはできません。広がる世界の分だけ知らない自分との出会いがあるはずだと思います。だから世界は広く、面白い。見て、触れて、考えて、確かめて、面白い自分より、面白がれる自分であろうと思うのでした。


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