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妻の実家にて


正月、妻の実家に向かった。
義母と義父は、ぼくたちを温かく歓待してくれた。丘の上にある静かな一軒家。陽当たりのよい庭は手入れが行き届き、春の芽吹きを心待ちにしているようだった。

家具が少なく広々したリビングの奥に、グランドピアノが置かれている。手すさびに妻が弾く。ぼくもたどたどしくバッハのメヌエットを妻に習いながら弾いてみる。

昼ごはんに手作りの惣菜と赤飯をいただき、晩ごはんには焼肉で卓を囲んだ。妻がエプロン姿で料理の手伝いをしている。とても可愛い。
義父は洗い物をし、洗濯物を取り込んでいる。義母が古い手書きノートを取り出し、料理のレシピを妻に伝授している。

夕暮れに、ぼくと妻と義父で近所を散歩した。見晴らしのよい丘陵から夕焼け空を仰ぎ、古い神社で初詣をする。三人でおみくじを引くと、ぼくが大吉を引き当てた。
家までの上り坂を歩くとき、「この坂道がきつくなってきたねえ」と義父がこぼす。坂の向うに陽が沈みかけていた。

夕食どき、リアルタイムで報じられた羽田空港の炎上事故のテレビ実況を、四人で食い入るように見つめる。乗客と乗務員の全員脱出の一報には皆で胸を撫で下ろした。
元日の能登半島地震に続き、まるで乱世を告げるような年明けとなった。

凍てつく夜道を帰路につきながら、妻がこの家でとても大事に育てられたことに改めて感じ入った。

妻は、いつか両親がいなくなってしまうと本当に自分がくつろげる場所がなくなると感じて心許なくなった、というようなことを話してくれた。
これまで一生懸命守ってくれた両親に感謝しながら、親をきちんと「見送る」ということが、「最後の自立」になるかもしれないね、というようなことをぼくが話した。

実際、老親に安心してもらうことは大きな親孝行かもしれない。
もっと言えば、子どもが「幸せに生きる」ことこそ、本当の親孝行と言えるのかもしれない。
ぼくはだから、残りの人生を妻と幸せに生きようと思う。幸先よく大吉を引き当てた新年の誓いとして。


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