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なぜマルコスなのか、というミステリー

死者・行方不明       2326人
レイプ、拉致など拷問の被害者 238人
人権侵害の被害者    11,103人

フィリピン大学の構内をあるいていたら、こんな文字や写真が、歩道にたくさんかかげられているのに気づきました。フェルディナンド・マルコス政権の戒厳令下でおきた、国による犯罪に関する内容のようです。(この展示は1972-86年の被害をあげていますが、戒厳令は81年まで)

戒厳令下の犯罪を静かに批判する横断幕

マルコスが戒厳令を発令してから今年9月で50年。戒厳令にかかわるさまざまな催しや出版も予定されているそうです。そんな節目の年に、マルコスの長男ボンボン・マルコス氏(64)が、選挙で次の大統領に選ばれるかもしれない……。それがいまのフィリピンの状況です。3月のPulse Asiaによる調査では、ボンボンは56%もの支持率を得て、いまのところトップを走っています。

え、なんで? 100億ドルの隠し資産があるともいわれ、悪いことをしたはずのマルコス家が支持されることは、とくに、私のような外国人にとってはまさにミステリーです。アメリカからも研究者が理由を調べに来ていると聞きます。

でもこちらに来て、マルコス家が支持される理由はじゅうぶんに検証されておらず、外国人のみならず多くのフィリピンの人も、うまく説明できないのではないか、と感じるようになりました。

1週間ほど前、このフィリピン大学のキャンパスで、ある騒動がありました。(以下は内容をあげたウェブサイト)

ボンボン・マルコス支持をうたうマスクと赤いシャツを着て、キャンパス内でジョギングしていた男性が、戒厳令の被害者だという女性に「なぜボンボンを支持するの?!」とつめよられ、言い合いになったのです。その様子を映した動画がフェイスブックにアップされ、多くの人の目にとまることとなりました。

元教員の知人と話すと、大学では以前、構内で開かれたアートイベントにマルコス家の親族が参加したところ、強烈なブーイングがされたこともあるそう。元大統領の悪事をぜったいに忘れまいとする強い意志、さすがだなと感じます。その一方で、目をぎゅっとつぶって、マルコスへのさまざまな見方や思いを、見ないようにしてきた面があるように感じるところも、ないわけではありません。

独裁的・強権的政治を止めよう!と訴える大学の横断幕

「独裁者と呼ばれ1986年のピープルパワー革命で失脚したマルコス元大統領……」

記者としてマルコスについて書くとき、こんな表現をすることが多くあります。マルコスは多くの学生や活動家、メディア関係者らを投獄、あるいは殺害し、いためつけたということだけでも、たたえられるべきリーダーではありません。でも、「独裁者でワル。以上です」という単純な言葉では、表現しきれていないことがある気がして、何かもやもやしていました。

わたしは日本とフィリピンで、マルコス支持・不支持の人たちにお話を聞きはじめているところですが、ボンボンをふくむ、マルコス家を人々が支持する理由は、とても一言では表せないと感じています。人によっても違ううえ、ひとりの人がマルコスにシンパシーを感じるようになった経緯にも、いろいろなファクターが複雑に絡み合っているように見えるからです。

東京・銀座でボンボン支持をアピールするフィリピンの人たち

たとえば、マルコスを支持する理由として、これまで見聞きしただけでも、こんな内容があると思いました。

・マルコス元大統領の政治内容への支持と、後のリーダーたちへの失望
・祖父母や両親などからつづくマルコス支持の継承
・マルコス家から大統領が出れば100億ドルの財産が分配されるとの期待
・SNSやYouTubeで広がるうその情報(フェイクニュース)の影響
・共産勢力への嫌悪とシンパシー
・マルコスと同郷のイロカノの誇り
・伝説や物語めいたうわさの影響

もう一つ感じるのが、「痛み」です。

マルコス元大統領は独裁者として世界で知られるものの、必ずしもすべてのフィリピン国民に嫌われていたわけではなかった。そのことに気づいたとき、ちょっとびっくりしました。1986年の「ピープルパワー革命(エドサ革命)」で、マルコス一家はハワイに追いやられました。そのようすをテレビやラジオで見聞きした人の中には、「涙が出た」「胸が痛かった」と話す人がたくさんいます。

納得がいかないまま、慕っていた大統領が追い出されるのを見た人たちは、その痛みや怒りを、ずっと解消できずに36年間抱えてきた。よりよい政治がなされて、いまのフィリピンが公平で豊かだと感じられる社会に変わっていたら、その不満はいくらか消えていたのかもしれませんが……。

この「痛み」を抱えた人たちから、フィリピンの政治や社会をリードする人たちは目をそらしてきたのではないか。その反動が、いまのボンボン・マルコスへの強烈な支持につながっているのではないか。そんなふうにも思えます。

マニラ首都圏ケソン市の集会に集まったボンボン支持者たち

ここにつづるのは「取材ノート(まさにnote!)」をかねた記録で、わたしも後で読み返したら、「へえ、最初はこう考えていたんだ」と思う内容があるかもしれません。支持者が話す内容のどれが歴史的事実で、どれが事実でないのか、「ファクトチェック」もこれからたくさんしないといけません。

わたしはマルコス支持者ではなく、マルコスが善人だったと言いたいわけでもありません。正直にいうと、支持者に話を聞くにつれ、華美な暮らしをしていたリーダーをどうしてそこまで寛容な目で見られるの?と、ミステリーはふかまるばかりです。

短いことばで表現するのはむずかしい。ならば、人によって、環境によって、この「独裁者」を見る目がまったく違っていることを、その一面だけでもときほぐして見てみたい。そう思ったんですけど。


こちらのほうが、ずっとむずかしそうですー。




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