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当たり前と思ってた

私は当たり前と思っていました。

鈴虫の鳴き声がある生活。

私のおじいちゃんは鈴虫を飼育していました。

私にとっておやつにはチョコレートぐらいに自然に小さい頃の生活のワンシーンとして鈴虫がいました。

わざわざおじいちゃんから鈴虫を分けてもらいに来る人がいたり、おじいちゃんに飼育方法を聞きに来る人がいたりするのを不思議に思ってみていました。

育てるのなんて簡単なのに、と思いながら。

そんなある日おじいちゃんが小学校に鈴虫をプレゼント。

校長先生のたっての希望にて。


でも

すぐに死にました。

死ぬんだ。

環境が変わり死にました。

ただの虫。だけどおじいちゃんの鈴虫。

当たり前のようにおじいちゃんは卵を越冬させたり、飼育していたけど、死ぬんだ。

花も枯れるんだ。

道も無くなるんだ。

人が住まない家は壊れるんだ。

きちんと向き合わなければ、失う。

きちんと取り組んだとしても、失う時は失う。

だからこそきちんと取り組まなければ後悔する。


自分の当たり前の生活は当たり前ではなく、たくさんの想いの上で成り立つ生活。

大事に大切に向き合わなければ、当たり前が当たり前ではなくなる。

小さな小さな命が教えてくれた。

おじいちゃんが倒れると誰も飼育しないから我が家から鈴虫はいなくなりました。

それは自然の流れではあるけれど、悲しい事実。いつ何が起きてもおかしくはないからこそ、毎日をしっかりと歩みたいものだ。

と、少しだけ感傷にふけりながら今日もがっつりかっ飛ばしてきます!後悔しないためにも。当たり前の生活をしっかりと捉えて!

ではまた明日。


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