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絵を始めるのはいくつでも遅くない話

小さい頃に絵に興味はあったのものの‥
小学校の時の先生のトラウマの他にまだ興味を削ぐようなことがありました。
どこの家でも同じことを言うのだろうとは思いますが、絵はお金にならないから、勉強してもしょうがないなども言われてきました。
もう亡くなってますが、親族に日本画の画家がいるんです。
身内にいるものだから、余計だったのでしょう。
奥さんが苦労した話をけっこう聞かされてきたんです。

そのうち私も絵に対する興味も薄れてきて、ずっと過ごしてきました。
前回の記事にも書きましたが、40歳になってふと絵が描きたいと思ったんです。
いろんな偶然が重なって、武蔵野美術大学に入ることになりました。
本当に0からのスタートでした。
あまりの下手さに自分でも驚きましたが、新しいことの挑戦は刺激的でした。
絵だけでなく、英語や哲学、社会など一般的な課題もかなり勉強しました。レポートのために何冊も本を読んだり、テストを受けたりとハードでしたが多面的に学ぶ大切さを教えていただきました。
今考えると、40歳だったからこそ情熱を注げたのかもしれません。自分で働いてきたお金を投資していることと、社会を経験してきたからこその学びなので、自分にとって何かを吸収しようという意欲が大きかったのだと思います。

何が言いたかったかというと、いつでも学びはできるということ。
タイミングが今だったということでしょうか。

武蔵野美術大学の通信は高校卒業の18歳から80代の方までいらして、勉強のモチベーションがものすごく高いのです。武蔵野美術大学の通信を卒業した場合は、一般の武蔵野美術大学の卒業とみなされます。通信を卒業できるのは1割ほど。
なんとかクリアしたので自信に繋がりました。

小さい頃は「絵なんて」と思ってましたが、絵を学んで実感したことは、「絵は楽しい」でした。

大袈裟かもしれませんが、絵に出会えて良かったとさえ思います。
自分の内側から出てくる表現がなんとも興味深く、不思議な体験ともいえます。

大学ではいろんな方に出会いました。70代、80代の方とも仲良くさせていただきましたが、もう年齢じゃないなと思いました。

そう、年齢関係なくどんどん進化してみずみずしい感性なんです。
絵を始めるのは、いくつになっても遅くないと言うことです。

絵は奥深くまだまだ学ぶことがたくさんあります。
楽しいことに出会ってしまったという感じです。

武蔵野美術大学通信教育課程
https://cc.musabi.ac.jp

話は元に戻りますが、身内の日本画家の児玉輝彦をネットで調べてみました。
日本国画院会長だなんて、たった今知りました(*_*)

児玉 輝彦(こだま てるひこ) 1898-1992
日本国画院会長の日本画家児玉輝彦は、9月27日午前0時12分心不全のため千葉県船橋市海神の船橋中央病院で死去した。享年94。明治31(1898)年4月3日新潟県十日町市に生まれる。大正6年歴史人物画で知られた津端道彦に師事し、内弟子として学ぶ。昭和2年第8回帝展に「祇王」が入選、同7年日本美術協会会員となった。日本美術協会展では、銀賞を2回、銅賞を3回受賞し、委員や審査員をつとめている。戦後、昭和40年には神代植物園で「秋之野草」が昭和天皇・皇后の供覧にふされた。55年学研の水上勉「平家物語」、57年NHKテキスト古文にそれぞれ作品が掲載され、61年には船橋市滝不動金蔵寺に格天井画と仏画を奉納した。また書でも、43年の泰東書道院展で大阪毎日・東京日日新聞社賞を受賞している。歴史画を得意とし、日本国画院会長をつとめたほか、新潟県中魚沼郡川西町から名誉町民の称号を贈られた。代表作「祇王」も、現在同町の所蔵となっている。

東京文化財研究所
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10376.html



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