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株式会社アイデミーで一人の新卒を迎えました。

 株式会社アイデミーでは、2019年4月1日に一人の新卒を迎えることができました。「平成」最後の入社式、そして「令和」最初の1年めという記念すべき年に、アイデミーにジョインを決定したくれたことを大変嬉しく思います。

 今年は、千葉さん投資先9社の千葉道場コミュニティのベンチャー合同入社式に参加しました。入社式の最初、各社で「3分間の新卒へのメッセージ」をプレゼンテーションを行いました。私のほうで行ったプレゼンテーションについて、備忘録も兼ねて、以下に掲載します。

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 株式会社アイデミーに新卒で入られた杉ノ内くん、千葉道場の企業に新卒で入られた皆様、ご入社おめでとうございます。

 株式会社アイデミーでは、「科学者のように振るおう」というカルチャーがあります。今回は私が最も尊敬する科学者のひとりである野口英世が、22歳の頃のエピソードを紹介しようと思います。

 野口英世は明治9年、福島県で生まれました。父親は郵便局員で、決して裕福な家庭ではありません。幼いころに大火傷したことをきっかけに、医者になることを志します。

 明治31年、22歳には既に上京していて、北里柴三郎所長を務める研究所、いまの東京大学医科学研究所に勤務していました。実はこのとき、野口英世は、「ヒデヨ」という名前ではなかったのです。「キヨサク」という名前でした。

 なぜ彼は「キヨサク」という名前から「ヒデヨ」という名前に改名したのでしょうか?それは当時流行した坪内逍遥の小説「当世書生気質」に自分とよく似た名前の主人公が、医者を目指して上京した挙句、自堕落な生活をしてついには破滅してしまったためです。野口キヨサクも、当時、借金をして遊郭に行ったりするなど非常に怠惰な生活を繰り返しており、自分と重ね合わせ、この小説をきっかけに心機一転、名前も変えて勉学に集中したとのことです。あとの活躍は、皆さんもご存じでしょう。

 野口キヨサクが素晴らしかったこと、それは周囲の環境で、自分を変えたことです。皆さんもこれから、これから、本でも人でも仕事でも、いろいろな刺激を受けると思います。その時、大抵の人は評論家になってしまいます。上司が悪い、会社が悪い、環境が悪い。これでは、せっかく新卒で未上場のベンチャー企業に入られたのに、環境をものにすることができません。

 今日から、自分を積極的に変えていって、ぜひ自分のいままでの同期と差をつけてください。他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えられます。これからの活躍、期待しています。ご静聴、ありがとうございました。

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 株式会社アイデミーでは、年末に正社員30名体制にすべく、現在積極的に採用をおこなっています。新卒/第二新卒/中途/業務委託など、採用形態は問いませんので、積極的にご連絡ください!



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