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なぞるのが嫌だった【自分が見えなくて】

僕の字は汚い。

最近では人に見せる文章のほとんどがデジタルなので、特にコンプレックスではない。むしろコミュニケーションの種になる。

不満だったのは大学のレポート試験。持ち込みありなので、基本的に前もって書いてくる。つまりテスト時間は写経の時間で拷問の時間だった。先生も読みにくいので、lose-loseになる。

いつから字が汚いのかを振り返ってみると、小学校一年生。

「なぞる」のがもう駄目だった。嫌だった。

それなりに優秀で通知表(あゆみ)は◎ばかりだった僕の「じをていねいにかく」の欄は6年間△である。

単純に字を書くのは苦手で、汚かったわけだけど、振り返ってみると「なぞる」というのがどうも無理だ。

誰かの跡をなぞるとき、僕は得体のしれない嫌悪感に襲われる。僕は僕であるはずなのに、その瞬間はまるで僕以外の誰かを生きているような、そんな感覚になるのだ。思春期か。

守破離という言葉があり、「学習」をテーマに掲げる僕は当然のようにその言葉を大事にする。型の模倣は大切だし、コスパがいい。

それでも、完全になぞるのは無理なのだ。気持ち悪いのだから仕方ない。

そんなことを考えながら、一週間前の自分が記した字を解読する。もう少し分かるように書いてもらいたかった。

「小学校一年の頃から無理だったものに立ち向かうべき?」

学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。