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判断は頭、決断は心【大切な違い】

昨日、ボルタンスキーについては次の日書くと言っていたけど、今日の用事で思っていた以上に疲れたため、今日は以前から考えていたことを書き起こしてみる。

テーマは「判断と決断の違い」。
僕の勝手な定義だけど、割と大事な話だと思うので読んでほしい。

判断と決断

まずは、判断と決断の違いを定義。

ズバリ、「行動」が伴うかどうか。

判断には行動が伴わない。
物事を認識し、己の理性と知識をもって区別する認知的プロセスだ。

決断には行動が伴う。
自分がこれからどうするかを決める心の所作だ。

おそらく、全状況において「判断→決断」の順番をたどる。

僕は人間のパフォーマンスはすべて「観察→思考→行動」で説明できると考えている。判断と決断は思考に含まれる。決断は思考の最終フェーズだ。
だから「判断→決断」となる。

判断と決断は連続したプロセスであることが多く、また決断は判断に強く依存する。

判断の結果、「やるべき」とした行動を選ぶことが多いからだ。

判断と決断は依拠するものが違う

以下は僕の意見であり、主張であり、指針だ。

判断と決断には行動を伴うかどうか以外にもう一つ、大きな違いがある。

その違いはタイトルに示した。

「判断は頭で、決断は心でするもの」

判断プロセスを支えるのは僕らの理性だ。
これまで得てきた知識、それが昇華した知恵、認知能力、常識。

ひたすらに合理的なプロセスだ。

いや、人間の判断は実際にはけっこう不合理な点というか、欠陥があったりするのだが、しかしそれでも判断は合理的なプロセスであろうとする。

そして決断は判断の影響を強く受ける。
だから、僕らは合理的な行動(自分の世界において)をとるのだ。

これでは駄目だと、僕は思う。

人には「理性」があり、そして「感情」がある。

これらは両輪で、どちらかが欠けてはいけない。

ただ合理的であるなら、それはあなたである必要がない。
ただ感情的であるなら、そんなあなたに成長はない。

決断が判断のみに指示をあおぐようになれば、それは感情の欠如、理性の暴走だ。
それが必要となる状況もあるけど、そればかりでは駄目だ。

決断は、あなたの心がするものである。

判断と決断の競合

そうなると、判断と決断が競合する場合が出てくる。
僕の主張に照らせば、実際に行動に移されるのは決断の方。感情側に軍配が上がる。

それでいいと思うけど、納得はいかないだろうからもう少し話す。

理性は感情を説得しようとする習性を持つ。

「こっちのほうが良くない?」
「ちょっともう一回考えてみてよ!」
「キミ(感情)もこっちの方が楽しくなるでしょ?」
「うん、じゃあこっちにしようか(ニヤニヤ)」

こんな感じに。

これも自然な所作なのでまったく問題ない。

僕が言いたいのは、この説得をくぐり抜けた、もしくは屈服しかけても再起しようとする感情を弾圧するのは違う、ということだ。

これが「判断は頭で、決断は心で」の正体。

役立ちそうだろうか?

学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。