見出し画像

知識にアクセスしやすいこの時代に必要なもの【知識への飢え】

学び始めることがカンタンになった時代。

それが現代であるように思う。

ネットで多くの情報が手に入り、多くの知識が本として売られ、セミナーやスクールの類もたくさんある。初期エンジニアの人々は「なんと恵まれた時代だ」と心のどこかでは思っていることだろう。

この状況は先人たちの努力の結果だ。素晴らしいと思う。

僕が目指す世界観の一側面として、「誰もが成長できる世界、その可能性を信じられる世界」というのがある。
知識へのアクセスが容易であるのは非常に歓迎すべきことだ。

しかし上で引用したツイートにあるように、知識へアクセスしやすすぎることが、僕らの学習に与える悪影響もあるのかもしれない。

いつでもアクセスできる知識の主観的価値

僕は経営学部だし、もちろん財・サービスの価値がどう決まっていくのかも習った。その一つは「希少性」だ。

知識はもともと希少なものだった。
本がなかった。印刷技術がなかった。ネットがなかった。

ゆえに、知識のある人々、司祭さんなどが支配階層へと登っていった。

しかし現代には。
本があり、印刷技術があり、ネットがある。

知識の希少性はどんどん下がっていっている。
そこで価値が出てくるのが「知恵」であるがこれはまた別の機会に。

しかし実際には知識の「本質的価値」が落ちているわけではない。成功者たちは多くの知識を身につけ、実践している。

落ちているのは知識の「主観的価値」だ。世界は主観的なので、根本的に本質的価値などはどうでもよく、僕らは主観的価値に従って生きている。それでいいと、僕は思う。

しかし競争を考えるとそうはいかない。

主観的価値が暴落していく中、本質的価値は依然としてあるのだ。

■ 環境を観察し、未来を予測し、適切な知識に価値を認めて、取得している人々。
■ 自らを助けるものだと、知識に価値を認め、取得している人々。

知識の主観的価値暴落に振り回されていると、彼らとの差が大きく開いていく。

知識への飢え

偉人たちの伝記を読む。
彼らの若き日々は「知識への飢え」と共に描かれていることが多い。

エジソン、南方熊楠、スティーブ・ジョブズ。

知識に富んだこの時代において、僕らに求められるのはこの「飢え」だ。

ダイエットの注意として、空腹時の吸収率が挙げられる。
空腹(低血糖状態)が続くと、身体がピンチを感じて、次に入ってくる糖質や脂質をいつも以上に吸収しようとするらしい。

知識への飢えでも同じだと思う。

飢えているからこそ、知識を吸収しようとする。
剣士の卵たちは、雑用をしながら師範たちの動きを見て学び、教えてもらえることを必死で身体と心に叩き込む。
印刷技術がなかった頃、人々は本を暗誦できるまでに覚えた。

食糧の飢餓問題は解決すべきことだ。
でも知識の飢餓問題は?

飢えが足りなくなることこそが、問題なのかもしれない。

理想の状態を想像すること

飢えを再現することはできる。一つは未だに希少性のある知識に臨むことだが、それ以外でもある。

それが「理想の状態を想像すること」。強く想像することだ。

問題とは「理想」と「現状」のギャップ

このギャップが飢えとなる。
だから理想の状態を、目の前にぶら下げられたニンジンのレベルにまで想像する。

あとは駆け出すだけだ。



学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。