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”石を運ぶ人”の話【目の前の行動の価値とは?】

今日勉強していて、ふと「石を運ぶ人の話」を思い出した。

次のような話だ。

ある所に石を運んでいる人がいた。何をしているのか尋ねると彼は「石を運んでいるのさ」と答えた。
道を進むと同じように石を運んでいる人がいた。また同じように尋ねると「国の誇りとなるピラミッドを作っているのさ」と答えが来た。

この両者は同じ行動をしていても、その目的意識が違う。
後者の方がより大きな目的意識を持っているのでやりがいが出る、みたいな話だったと思う。

なぜ勉強中にそんな話を思い出したかと言うと、「あれ? なんでコレ勉強しているんだっけ?」と思ったからだ。

今日は「目の前の課題の価値を決めること」について考えた。

学習動機は?

「あれ? なんでコレ勉強しているんだっけ?」という問いから始まったわけなので、一応学習動機について触れておこうと思う。

別に何か将来のために学習をしなければならないことはない。
頭が良くなるから、周りがやっているから、内容が面白いから。

こういった学習動機に関しては認知心理学者の市川伸一さんが提唱する「学習動機の二要因モデル」がわかりやすい。

以前サイトの方で記事を書いたので参考にしてほしい。

今回僕は、ある本を読んで学んでいる時にこれを思った。
その本の内容は、今欲しい内容ではなく、ただ僕のやっている領域に関連しているというものだった。

その学習が、僕が学ぶべき他の内容に対して特別優先する理由などなかった。しかしそれら他の内容を学習することをせず、僕はその内容を学んでいたのだ。

なぜこのようなことが起こったのか。

目の前に集中していると目的がすり替わる

基本的に、やる気を上げるためには目標は具体的な方が良い。
SMARTの法則というものもある。

つまり目標は近くなる。具体的なものになる。
たとえば、「今日中に石を1000個、A地点に運ぶ」のようにだ。

僕も当然のようにそれを使っていた。
しかし時にそのやり方は僕らを罠にはめてくる。

その目標は作られた目標だ(大体の目標はそうだが)。

本来、僕はその小さな具体的な目標を達成する必要がない。
その上にある目標を達成できればいいのだから。

しかし今のモチベーションを保つために僕らは小さな具体的な目標を作り上げる。

大きな目標に繋がっていればOKだ。何の問題もない。

しかし、その手法を続けているうちに、ミクロな視点ばかり持っているうちに、罠にはまってしまう。

大きな目標に繋がっているようで繋がっていない目標。
その達成に拘泥することに意義はないのではないだろうか?

それはピラミッドに繋がるものか?

僕らは時おり、大きくて抽象的な目標の方を見るようにしなければならない。

今、自分の前に並んでいる小さくて具体的な目標たちは、その大きな目標に繋がっているのだろうか?
罠となる目標が潜んでいないだろうか?

無為な時間を過ごさないために、考えたいことだ。

学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。