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情報の順番【変わりゆく意味を追いかけて】

先日、弟から次のような問題を出された。どこかの動画で聞いた問題らしい。

ある村で大嘘つきと呼ばれているデマオ君がいた。ある日、デマオ君は「人食いオオカミが出た!」と村人たちに伝える。すると村人たちは「人食いオオカミなんて怖くない」と言いながらも、鍵を締めて家に閉じこもった。
なぜか?

少し考えてみてほしい。けっこう面白い問題だと思う。

今日はこの問題から改めて考えた「情報の順番」について書いてみる。

答えは?

上の問題の答えを先に伝えておこう。

なぜ「大嘘つき」であるはずのデマオ君の警告に対して、村人たちは家に閉じこもるという選択をしたのか?

それは、デマオ君が「村唯一の正直者」だったからだ。

つまりデマオ君以外の村人が嘘つきであり、「デマオ君が大嘘つきである」というのがそもそも嘘だったのである。
したがってデマオ君の警告が真実であることを村人は知っており、ゆえに閉じこもったのだ。

閉じこもるときにも嘘をついているのが鍵だったわけだ。

最初の情報の意味が変わる

僕らがこの問題から最初に得る情報は、「デマオ君は嘘つきである」

厳密には「デマオ君は大嘘つきと言われている」だ。
しかしそこから得るメッセージ(意味)は、「デマオ君は嘘つき」だと思う。

この問題に答えるためにはこのメッセージを疑わなければならない。

すると村人たちは「人食いオオカミなんて怖くない」と言いながらも、鍵を締めて家に閉じこもった。

この文から「嘘つきなのは村人たちの方なのではないか?」→「デマオ君が嘘つきというのが嘘なのでは?」という道筋を辿れるかどうかだ。

この現象を抽象化すると、

「後の情報」が「前の情報」の意味を変える

となる。

僕らは先に出た情報をベースとして、後に出てくる情報を判断する癖がある。しかし先出の情報の方が信頼できるなどという法則はない。むしろ学問はそれまでの知識を否定して発展してきた部分がある。

情報の順番というのはきわめて恣意的なものであり、本質的なものではないのだ。

しかし僕らは順番にとらわれてしまう生き物なのである。

先に村人と出会うか、デマオ君と出会うか

この問題にて、僕らは先に村人と出会って「デマオ君は嘘つきだ」という情報を得て、その後のデマオ君の行動を目撃したわけだ。

出会った順番によってのみ、僕らは村人をデマオ君より信頼したわけである。

現実世界にて。
先にであった村人が詐欺師であったら?
警察と後に会ってしまったら?

僕らは容易に騙される。

かといって全てを疑うわけにはいかない。
だからここで心に刻みたいことはこれだ。

情報の意味は変わる。
➡ 新たな情報を得たら、既出の情報の意味も変わるかもしれない

情報の意味は固定ではない。きわめて不定なものなのだ。
そのことを、僕らは心に刻んでおくべきだと思う。

そんな含蓄のある面白い問題だった。

学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。