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他人の思考は見えないという当たり前【思考のブラックボックス】

今日は何曜日? 木曜日だ。
つまり『左ききのエレン HYPE』の更新日である。10時だ。

いつも通りネタバレが怖いので、中身には詳しく触れない。

『エレン』を読んで考えたことだけシェアしておく。

(ちょっとだけ内容)
これまでは後輩の指導のために会議のペースを落としていた先輩たち。前回の最後で一度普通のペースに戻してみようということで、今回の話。最初に後輩目線を描き、つづいて先輩目線が描かれた。

先輩が黙っている時に何を考えているのか

仕事の場にて沈黙を放つ先輩。
後輩には先輩が何を考えているのかわからない。

もしかしたら今日の夜に何を食べるか考えているのかもしれないが、自分が気がついていない失敗についてどう叱ってやろうかと考えているのかもしれない。それはわからない。

僕らは他人の思考の中身を知ることができない。ブラックボックスだ。

特に自分よりその領域で上にいる人間の思考を計り知ることは到底難しい。

だから世の先輩諸君は沈黙の使い方に気をつけよう。
後輩が真面目であればあるほど、その沈黙はプレッシャーとなる。

思考のブラックボックス

僕は「観察→思考→行動」というフレームワークについてよく言っている。

このうち行動は見えやすい。

心理学の世界では、内観法(自分で自分の思考について語る方法)による研究を疑問視した人々が刺激-行動によって人の心を解き明かす行動主義を立ち上げた。

しかし思考はあいかわらずブラックボックス。刺激→(思考)→行動を観察しているからだ。

そこで思考を解き明かそうとして生まれたのが認知心理学だ。同時期に広がり始めていたコンピューターをメタファーに使いながら人間の思考をモデル化しようとしている。(詳しくは僕の記事へ)

しかし、これはあくまで研究的なもので、実際に思考が見えるようにしているわけではない。相も変わらず、他人の思考を覗くことはできない。

思考のブラックボックスによる機会損失

思考内容が共有されていないばかりに生まれる機会損失があるのではないか。ふと思った。

会議の参加者の思考の中身がすべて共有されるなどありえない。もし全部が共有されていれば、奇跡的な組み合わせが生まれていたかもしれない。

あとは後輩と先輩の話。
後輩にとって先輩の思考内容は垂涎モノ。成長を加速させるものだと思う。

ではなぜ僕らは思考をブラックボックスのままにしておくのか。

これは単純、コストの問題だ。

内観法の話もあったとおり、まず自分の思考内容を伝えることがそもそも難しい。僕らは上手い下手はあれ、思考を編集して伝える。思考そのものを伝達するわけではない。

難しい話だ。

思考内容を他人に伝えるという観点

しかし思考内容をできる限り他人に伝えてみる、というのが有効な文脈はけっこうあるのではないかと思う。

状況によってはコストに見合う結果が得られることもあるかもしれない。

特に教育の文脈において、それが期待できると考える。

学問とテクノロジーが発達して、いつか思考内容を完全伝達できるようになれば…………。

――想像してみたが、嫌かもしれない(思考ハッカーとか絶対出てくる)。

学習のアーティストを目指してます。学習ノウハウの体系化・学習体験のコンテンツ化を通して、学習者のレベルアップを手伝います。現状、お金よりも応援がほしい。