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ほぼ毎日SHUTTER#23足りないわたし

どうしていつも食べきれない量を頼むの?食べ物を粗末にするなんて!母に説教する私。

黙ってお皿をたぐり寄せる。自分はご飯少なめを頼んでいつも母の残りを処理する父。

せっかく釣ってきてくれた魚のさばききれなかった部位を無残に捨てる私。

まだ食べられるところがあるのに。ゴミ箱の前で静かに怒りに震えるAさん

お腹すいてないけどどうしても中華料理を食べたい若かりし頃の私。

お腹すいてないならやめようよ?残してしまってすみません。と私の分まで頭を下げてくれたBくん

今ちょっと前の自分に会うことがあったら、鬼の形相で説教する。ていうか激しくしたい。


野菜やお肉を丹精込めて育ててくれた方、それを流通させるために走り回ってくれた方、丁寧に調理して綺麗に盛り付けて長年培った技術を結集して提供してくれた方。

食べ物に限らず洋服でも雑貨でもたくさんの人の物語があって自分の手元に届けられている

周りの人たちが要所要所で諭してくれていたことに全く気付かず、自分はちゃんとした大人の女性なのよ感を出していたちょっと前までのわたし。

自分のお金で買ったものをどう扱おうと私の勝手でしょみたいな、仲良くなれないタイプの人間だったわたし。

ここ数年、ふとした時に足りない自分に気づく事が本当に多くなった。あ、あの人が言ってたのはこういう事だったんだ、と。年齢のせいなのか、環境のせいなのか、丁寧に生活できるようになって自分を顧みる機会が増えた。

「あー、なんてことをしてしまったんだろう」

と思わず顔を覆うことがリアルにある。食器洗いしている時や通勤の電車の中で、ふと思い出して、頭を抱えて心底後悔する。

今の足りない自分がこうなるべくしてなったんだなといつも納得する。そしてこれからの人生でちゃんと取り返さないといけないなと姿勢を正す。もうすぐざっくり40だけど、今からどんだけ徳を積めば取り返せるのだろうと考えるだけで胃がギュッとなる。だが、このままでいいわけがない。絶対にない。

スマホの画面を通してランチを撮っているようで、実は全く目の焦点が合わずに震えていた。なぜならまだ自覚していない足りないところがたくさんあることは考えなくても明らかだから。

足りないわたし。





これだ!という一枚を撮れるよう、毎日撮影しています。もしよろしければサポートよろしくお願いいたします。頂いたお心遣いは撮影や機材の費用に致します。