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「0組の机にポエム書いてるの私です。」第14話(最終話)

「2年3組、1年間お疲れ様でした! かんっぱーい!!」
「かんぱーいっ!!」

 もんじゃ屋『よしこ』に、2年3組の生徒一同が集結していた。木村の音頭に合わせて、ジュースの入ったグラスをカチンとぶつけ合う。2年3組最後の“打ち上げ”が幕を開けた。

 もんじゃ屋『よしこ』は、桂冠高校の最寄り駅付近、学校側の出口とは反対の出口を、真っ直ぐ20分ほど歩いた線路沿いに位置している。文化祭や体育祭の打ち上げなどで桂冠生がよく利用している、御用達のもんじゃ屋だ。

 合唱コンクールの打ち上げも兼ねた『1年間お疲れ様会』は、3学期の修了式でもある本日、18時半からの開始となった。遅くとも部活動は18時に終わる。部活のある生徒も参加できるように時間を設定した。お店は貸し切り。2時間の食べ放題コースだ。

 合唱コンクールは、茗と木村のスパルタ指導もあって見事銀賞に輝いた。金賞を取ったのは1年生のクラスだが、1年生は美術・音楽・体育の選択科目でクラスが分かれているため、例年音楽クラスが優勝をかっさらっていく。つまり、「銀賞は実質1位ってことじゃん!」と、3組の生徒たちは意味不明な盛り上がり方をしていた。

「今日、サメちゃんくるのー?」
「来ないって。来たら奢らされるってわかってるからでしょー」
「ちっ、逃げられたか」
「ねートッピングにチーズいれたーい」
「あ! こら土手崩すな!」

 打ち上げの序盤は、仲よしグループで鉄板を囲みながらもんじゃを食べた。途中で席を移動したりしながら、次第にクラス中が溶け合っていく。明るい笑い声が小さな店内を埋め尽くしていた。

「うちのクラス、最初はあんまり仲よくなかったよね」

 郁が小さなヘラでもんじゃを鉄板に押しつけながら言った。薄く伸ばしてひっくり返す。ヘラにはおいしそうな焦げ目のついたもんじゃが張りついていた。

「そうかもねえ」

 央のとなりに座っている茗が、相槌を打ってもんじゃをぱくりと食べた。央も二人の話を聞きながらヘラでもんじゃをこすり取っていく。言われてみればそうかもしれない。1学期はクラス全体に距離があった。明らかなスクールカーストがあって、悠日や郁のいる上のほうのグループと、央のいる下のほうのグループが交わることはなかった。今、郁と一緒にテーブルを囲んでいるなんて、あの頃から考えたら不思議である。

「悠日が央にちょっかい出すようになってからじゃない? クラスが仲よくなり始めたの」

 茗から自分と悠日の名前が出て、ドキッと心臓が跳ねた。郁と茗は、そんな央をよそに淡々とヘラでもんじゃを削り取っている。

「だねー。悠日と央に接点がなかったら、私も央とこんなに仲よくなってなかっただろうし。それに関しては悠日に感謝だわー」

「わかるー。俺も悠日が中原と話すようになってから、茗とも中学のときみたいにしゃべるようになったし。まじで、そのきっかけがなかったら付き合ってなかったかも」

 いつの間にか央の正面に木村が座っていた。木村は「最初からここに座っていましたよ」とすました顔で、平然ともんじゃをかき取っている。

「ちょっと、ナチュラルにそこ座んないでよ。寛子の席なんだけど」
「寛子はお座敷で悠日たちと激辛もんじゃ作ってる」
「さようで」

 お店は中央に調理場があって、その奥がお座敷になっている。テーブル席に座っている央にも、お座敷からの笑い声が調理場越しに耳に届いていた。茗と木村のさっぱりとした会話がおもしろくて、央ははす向かいに座る郁と目を合わせて笑う。悠日と共有した秘密が少なからずクラスに影響を与えていたんだと思うと、悪い気はしなかった。

「中原さー、いいの? 悠日とこのままで」
「うっ」

 木村が突然斬りこんできて、央は口にヘラをくわえたまま固まってしまった。郁と茗が止めに入ってくれるかと思いきや、その様子はない。二人ともなぜかヘラを小皿に置き、姿勢を正し始めた。

「それはね、私たちも言おうと思ってた」
「央、ちょっとヘラ置きなさい」
「え? 何? 二人まで」

 茗が央からヘラを奪い取って小皿に置いた。目の前の鉄板からは、明太子とチーズがトッピングされたもんじゃ焼きがじゅーじゅーとおいしそうな音を立てている。いつになく真剣な3人の様子に、央も姿勢を正す他ない。

「あのね、中原。明日から春休みで、3年生になれば悠日とは違うクラスになっちゃうかもしれないんだよ。何の理由もなく悠日と会えるのは、今日までなの。

 いいんですか?
 悠日とこのまま“他人”になっちゃって」

 木村が痛いところを突いてくる。悠日とおちゃらけている印象の強い彼に、至極真っ当な指摘をされるなんて思ってもみなかった。“他人”というひどく冷淡な言葉が、央の心にブスッと突き刺さる。

 郁と茗も、木村の話に深くうなずいていた。思い返せば、修学旅行が終わってから、二人は一度も悠日と何があったのか央に聞いてこなかった。

 清水坂で悠日に気持ちをぶちまけて逃げ去ったあと、五条坂と清水道の二又にわかれる道で郁に捕まった。何か言われるかと思ったけれど、郁は何も言わなかった。黙って央の手を引いて、ちょうど停留場に止まっていたバスに乗りこんだ。バスに揺られている間も、郁は何も聞かなかった。二人掛けの椅子にただ並んで腰をかけているだけだった。少し遅れて旅館に戻ってきた茗たちも、努めていつも通りに央と接してくれた。

 郁と茗は、今日この瞬間まで悠日のことを話題には出さなかった。「央たちの問題だから」とギリギリまで口を挟まないでいてくれたのだろう。二人の優しさが身に染みる。けれど、本当は央のほうから口にするべきだったのだ。心配してくれている二人にこそ、心から信頼している親友の二人にこそ、胸の内を素直に打ち明けるべきだった。

「……”他人”になんか、なりたくない、けど」

 央がゆっくりと口を開く。3人はじっと央を見つめていた。

「でも、悠日くんだって、もう私のことなんかイヤに決まってるじゃん。ただのクラスメイトにさ、進路のことあーだこーだ言われて。何様って感じじゃない?」

 修学旅行以降、悠日とは一度も口を利いていない。会話どころか、目すら合わせていない気がする。同じクラスなのに、関わろうとしないとこうもつながりが途絶えてしまうものなのか。今は、クラスメイトよりも遠い存在に感じている。バレンタインのときよりもずっと遠い。詩の秘密を共有する前の、視界にすら入っていなかったあの頃の関係に戻ってしまったみたいだ。

 でも、その頃と大きく異なるのは、悠日のことを「知ってしまった」ことだろう。この夏から、ずっと悠日に助けられてきた。悠日とともに過ごす中で得られたものが山ほどある。彼の存在は、今や央にとってかけがえのないものになっていた。悠日と過ごした時間さえなければ、この関係が元に戻ってもきっと何も思わなかっただろう。

 ずっと、悠日と話がしたかった。謝らなくちゃ。進路のことを私がどうこう言うべきではなかった。どんな考えであれ、彼が一生懸命考え抜いて決めた答えなのだ。それを、あんなふうに否定するべきではなかった。否定する資格は、央にはない。

「好き」という気持ちだって、勇気を出して打ち明けてくれたのだろうに、どうして「私のことなんか好きじゃない」なんて言ってしまったんだろう。好きな人に気持ちが届かないことがどれだけ悔しいか、私がいちばんよく知っているはずなのに。一度も受け止めずに否定してしまったことが心苦しい。

 私は、悠日くんを傷つけた。

「謝ろう、謝ろう」と、何度も悠日に話しかけようとした。けれど、これまでどうやって彼に声をかけていたのか、日に日にわからなくなっていく。よく考えたら、今まで自分から悠日を呼び止めたことがあっただろうか? いつも悠日が「央ちゃん」と呼んでくれていたことにようやく気づく。会話の最初は、いつだって悠日だった。

 ――……ああ、私、悠日くんに甘えてばっかりだった。私が一歩を踏み出さなくても悠日くんが手を差し伸べてくれるって、いつも心のどこかで期待していた。彼が「央ちゃん」と呼んでくれたら謝れるのにとさえ思っていた。渡せなかったバレンタインから、私は何を学習したのだろう。

 明日から春休みになって、3年生になったら。毎日同じ教室に通うこともなくなってしまうかもしれない。そうしたら、今まで以上に距離ができてしまうだろう。その距離は、やがて埋められなくなるほど遠くなっていくに決まっている。だって、悠日だもの。クラスのみんなから好かれていて、後輩からも人気があって、いつも真ん中にいる悠日だもの。もう永遠に、この声は悠日に届かなくなってしまうだろう。

「央、『悠日くんにはいっぱい助けてもらったから、今度は私が力になりたい』って言ってたじゃん。央の気持ちってこの程度のものだったの?」

 いつもよりキツい郁の言葉が耳に痛い。常に味方でいてくれたからこそ、彼女の気持ちを思うと余計に胸が苦しかった。央は静かに首を横に振った。

 このまま”他人”になるなんてイヤ。私、ちっとも悠日くんに恩返ししてないのに。それどころか、感謝の言葉すら伝えられてない。詩を書くのをやめるなって励ましてくれたときも、「ありがとう」って言った? Instagramを始めてくれたときも、ツンとしてただけだよね? 夏目先生に失恋して大泣きしたときも、黙って胸を貸してくれたのに「恥ずかしい」じゃなくない? どうして私って、こんなに自分のことばっかりなんだろう。

 悠日くんがいなかったら、今、絶対にこんなに楽しくなってなかった。詩を書くのだってやめてたかもしれないし、いまだに夏目先生のことを引きずっていたかもしれない。郁ともきっと、仲よくなれなかった。中学生のときにあきらめていた青春をもう一度やり直せたのは、悠日くんがいてくれたからなんだよ。全部、悠日くんのおかげなのに。だから私、彼の力になりたいって思ったんじゃなかったっけ?

 悠日の進路のことを考えて書いたノートが、胸に浮かぶ。なかなか渡せないでいたせいで、どこかになくしてしまったけれど。でも、あんなもの、もうなくてもいい。今までの感謝と自分の気持ちくらい、ちゃんと伝えられる。このまま終わってしまうなんて絶対にイヤだ。

「……私、悠日くんと話す。話してくる!」
「ぃよっし! よく言った!」

 木村はパンと膝を打ち、茗は央を抱きしめた。郁の瞳はキラリと輝いていた。




 2時間後、打ち上げはつつがなく終了した。もんじゃ屋のおばちゃん(よしこ)は、「9時までに家に帰りなさいよ!」と言いながらお金を徴収し、生徒たちを手際よく店から追い出した。さすが、桂冠生の打ち上げを何年も取り仕切っているだけのことはある。

「悠日くん」

 横山たちとゲラゲラ笑いながら店を出ようとしたとき、悠日はうしろから誰かに呼び止められた。振り返る。楕円系の縁なし眼鏡をかけた女の子――央が、悠日の顔を緊張した面持ちで見上げていた。もう久しく彼女としゃべっていないせいか、どう反応していいか戸惑う。何も言葉が出てこなかった。

「ちょっと、いい?」
「――……うん」

 空気を読んだ横山たちが先に店を出て、ふざけながら前を歩いて行く。彼らと少し距離をとって、悠日と央は並んでゆっくり歩き始めた。時折、電車がすさまじい音を立てて、はしゃいでいる2年3組の生徒の横を通りすぎていく。冷たい風が悠日の頬をかすめた。緑道の桜はほころび始めたけれど、夜はわずかに冬が生き残っているようだ。いつの間にか、二人が最後尾になっていた。

 悠日の心臓はバクバクと早鐘を打っていた。清水坂を二人で下ったときよりも、鼓動が激しく鳴っている。胸を突き破って心臓が飛び出してきそうだった。横目で央を見る。彼女は眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべながら、赤いマフラーに顔をうずめていた。

 えー、そっちから呼び止めといて、何その顔。

 おもしろくて、ついふふっと笑ってしまった。

「え、笑うとこじゃなくない……?!」
「ごめんごめん、あんまりむずかしそうな顔しているから、つい、かわいくて」
「ちょっと!」

 声に出さずに笑ったつもりだったけれど、堪えきれずに漏れ出てしまっていたようだ。央が怒る。「あ、これこれ」と悠日は思った。いつもの二人の空気だ。これなら大丈夫。悠日は切り出した。

「央ちゃん、ありがとね」
「え?」
「これ、ずっとお礼言わなきゃと思ってて」

 悠日は右肩にかけたスクールバッグから、水色のロルバーンのノートを取り出した。央の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。

「なんで悠日くんが持ってるの?! なくしたんだと思って――」
「郁が渡してくれた」
「郁が?! なんで?!」
「うれしかった。これ、もらっていい?」

 央は悠日の端正な顔を見上げた。濃紺の夜空を背景に、温かな黄色を放つ街灯の光が、彼の白い肌に降り注いでいる。くりっとした薄茶色の瞳の中には央がいた。優しげに微笑まれると、胸がトクンと高鳴る。この姿を独り占めしているなんて贅沢だなあ……。彼の美しさに見惚れながらも、コクっとうなずいた。

「進路のこと、もう少し時間をかけて考えてみる。まだ1年あるしさ、焦りすぎてた。どんなことをおもしろいと思って、どんなことが得意で、どんなことをやってみたいと思うのか。視野を広くもって考えてみる。央ちゃんの考えてくれたことも、参考にするね」

 悠日から「視野」という大人びたワードが飛び出して、央は内心驚いた。けれどそれ以上に、もっともな彼の言葉に深く納得してしまう。焦っていたのは、悠日だけでなく央もだったのだ。

 夏目先生からアドバイスをもらったことを、悠日はあえて口にしなかった。央には隠しておきたい。好きな子の好きな人の受け売りなんてやっぱりちょっとカッコ悪いし、夏目先生の株を上げたくない。そういうところは、まだ大人になりきれなかった。

「央ちゃんが俺にたくさんの可能性があるって言ってくれたこと、すごく励まされた。自分ではそんなふうに思ったことがなかったから。俺にいいところがたくさんあるなんてことも知らなかったし。ありがとう、央ちゃん、俺に自信をくれて」

 優しい温度を持つ悠日の声が、央の身体を満たしていく。そうだ。この声がずっと聞きたかったのだった。――……ああ、もう。

「ずるいなあ、悠日くんは」
「え?」
「私の話したかったこと、全部先に言っちゃうんだもん」

 街頭が苦笑する央を照らし出した。縁なし眼鏡の向こうの、大きな瞳。お人形さんのような小さな顔。苺のように赤い唇。悠日は、0組で初めて彼女と相対したときのことを思い出した。こんなにかわいかったんだと、びっくりしたんだっけ。クラスの連中は気づいているんだろうか。誰にも気づかれたくない。央のかわいさを知っているのは自分だけでいいと、心底思う。

「お礼を言うのは私のほうだよ。

 詩を書き続けるように背中を押してくれたのも、郁と仲良くなるきっかけをくれたのも、夏目先生の気持ちに決着をつけさせてくれたのも、全部悠日くんなんだよ。

 ありがとう。悠日くんのおかげで、毎日がずっと楽しくなった。悠日くんがいてくれたから、過去と決別して前を向けるようになったの。私に起こった“いいこと”全部、悠日くんがくれたものなのなんだよ。

 だから、私も悠日くんの力になりたくて。私だけがもらってばっかりだったから」

 素直な央の言葉が、ストレートに悠日の胸を打つ。今まで補給されていなかった「央エネルギー」が、急速に心に溜まっていくのがわかった。ただただ央と仲よくなりたくて、無我夢中で動いていただけなのに。悠日との関わりが彼女を勇気づけていたなんて、これほど幸せなことはない。

「そうだ」

 悠日は足を止めた。央も立ち止まる。

「清水坂の告白、信じてもらえる?」

 ガタンゴトンと音を鳴らして、電車が二人の横を通り過ぎた。春の夜風が央の髪を揺らす。

「俺、央ちゃんのことが好きだよ。それは進路のこととは関係ない。信じてほしいって言ってもむずかしいかもしれないけど……」

 悠日の改まった口調に、央の鼓動が早くなる。彼の真剣な眼差しに、もう心が射抜かれていた。

「央ちゃんの詩が好き。大人しそうに見えて勝ち気で頑固なところも好きだし、あと、実は情に厚いところも。もちろん、夢を持っているところにも憧れてる。深く人を愛せるところも好き。

 央ちゃんとこれからもずっと一緒にいられたらいいなって気持ちは、嘘じゃないから」

 物静かで大人しそうなキャラクターを演じていた頃を思い出して、央は笑った。やっぱり、悠日には本来の性格がバレていたのだ。こんな性格でも人に愛してもらえるなんて、知らなかった。悠日と一緒なら自分の欠点さえも好きになれる気がする。

 今度は央が口を開いた。

「清水坂で好きだって言ってもらえて、本当はすごくうれしかった」

 凜とした央の瞳。強い意志のあるその瞳にいつから心を奪われていたんだろうと、悠日は思う。もしかしたら、0組で初めて話したときからそうだったのかもしれない。

「私も、悠日くんのことが好きだよ。

 あげたらキリがないくらい、好きなところがたくさんある。いつも『央ちゃん』って明るく呼んでくれるところも、勝手にInstagram始めたり、勢いで金沢まで行っちゃうような行動力があるところも、サーブがうまいところも、1年生の女の子にだって優しいところも、あと、ちょっと抜けてるけどたまに核心を突くところとか、全部好きだよ。

 本当は自信のないところも、すごく愛しい。だから、私がそばで自信をあげたいって思ったの」

 央から念願の「好き」という言葉をもらえて、悠日の心が熱を帯びた。いつもツンツンしている央から、そんな言葉を聞ける日がくるなんて感無量である。――でも、「自信のないところ」には気づかれたくなかった。「抜けてるところ」は認めるけれど。まあ、あんなに進路のことで悩んでいる姿を見せたらバレバレか。

「恥ずかしいなあ。夏目先生みたいにカッコイイところだけ見せたかったのに」

「前にも言ったけど、どうして夏目先生みたいになろうって思うの? ならなくていいよ。今、私が好きになったのは、夏目先生じゃなくて悠日くんなんだから」

 ――!!

 ずっと夏目先生には敵わないと思っていただけに、悠日の感動は一入ひとしおだった。唇を噛みしめながら喜びに浸る。悠日の幸せに満ちた表情に、央は呆れたように笑った。

「それってさ、俺たち“両思い”ってことでいいんだよね?」
「え?!」

 気づいたら、悠日の顔が央の目の前にあった。コツンとおでこ同士がぶつかる。央は反射的に身を引こうとしたが、悠日がしっかり央の両手を握っていた。央の細い指先を、悠日の大きな手のひらが温めていく。

「えっと、その……」
「ちがうの?」

 悠日は上目遣いでじっと央を見つめた。こんな至近距離であざとかわいく見つめてくるのは反則だろうと思う。

「それは、そうなんだけど……」
「じゃあ、付き合うってことでいい?」
「う、うん……?」
「ええ~何その煮え切らない返事」
「付き合うって言われると心の準備が……」
「それ、いつできるの?」
「いつだろう……」

 “その先”のことを、央はまったく考えていなかった。”他人”になりたくない一心で、気持ちを伝えることに精一杯だった。

 悠日くんと付き合う。学校の人気者とこの私が。トランプの「大富豪」の「革命」どころじゃない。それは天変地異が起こったようなものなんじゃないのか。いや、っていうか、付き合うって何? 何するの? 世のカップルたちは一体何をしているんだろう? そもそも、何をもってして付き合うというのか。それって私にもできることなの? 何を準備したら、悠日くんと付き合えるようになるんだろう??

 央のむずかしそうな表情に、悠日は「ふはっ」と吹き出した。おでこと手が離れて、央は少し寂しさを覚える。

 遠くから大きな笑い声が聞こえる。悠日と央は、先を歩いて行く2年3組の面々に目を向けた。ふざけている木村に、横山と茗がツッコミを入れる。それに郁がお腹を抱えて笑っていた。もう少しで駅にたどり着きそうだ。央は、彼らの様子につい笑みがこぼれてしまう。悠日と同じくらい、出会ったみんなのことが大好きだと思った。

「――ねぇ、もうちょっとだけ今のままでいてもいい? 今がすごく楽しくて、幸せだから。まだ、もう少しだけ――……」

 央の回答に、悠日は小さく溜息を吐きながら笑った。そう言うと思った。まあいいか、央から「好き」の言葉は聞けたし。それだけで十分、今は満足だ。進路と同じように、この恋だってきっと焦らなくていい。もう少しだけ、今しか味わえない“両片思い”を楽しもう。――心の準備ができるまで、絶対にこの手は離さないけど。

「行こ! 央ちゃん!」

 悠日は央の手を取って走り出した。央も悠日の手をぎゅっと握り返す。履き慣れたローファーで力強く地面を蹴った。

 悠日のたくましい背中を見ながら、央は0組で詩を消していた日のことを思い出していた。すべてはあの日から始まったのだ。見つけてくれたのが悠日でよかった。悠日でなければ、今の景色を目にすることはなかったと思う。0組の机にこっそり書き始めた私の声は、彼の力でもっともっと広い世界に届けられたのだ。

 今、私の声は、たしかに届いている。

「みんな! 待って!」


(おしまい)


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