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今までの延長ではない道へ

3月、4月と、この2ヶ月の変化が激しすぎて戸惑っている。外側のめくるめく変化に翻弄され、エネルギーが枯渇している。いまこうやって“書くこと”で内側と向き合い、回復しようと試みているところだ。


自分の内側と向き合い続けて一つの着地点をみたと思えたのが、今年1月、2月。記事を読み返すとなんと穏やかなことか。自分自身、今の状態との乖離に驚く。
1月・2月の記事
https://note.com/aki_yoshida/n/na4d91653c9ca
https://note.com/aki_yoshida/n/nf8b07fc5314c


変化が起きたのは3月だった。コロナ禍ですっかり出不精になった私が、進んで会いに行きたいと思う数少ない友人の一人との会話がきっかけだった。

例えばコロナワクチン。例えばウクライナ情勢。例えば日本の政治の世界。彼女は今見えている世界の裏側、隠されている深い部分についての情報の一端を話し始めた。なぜそんな話になったのかは分からないが、彼女の口を借りて、テレビの世界にいるのに、いや、いるからこそ盲目になっていた私の目が開かれる「時」が告げられたのだ。


それ以来、自分から世の中でいま起きていることの「情報」を積極的に取りに行ったら…例えばニュースを伝える番組を観ていると、あれ? え? 何を伝えてるの? それ本当にそうなのだと自ら調べて伝えてる? と思う内容に溢れていることに気づいた。


報道の世界に少しいたことがあるので合点がいったのだが、あるシステムの流れの中で「この人たちがそう言うのだからそういうものなのだ」と、番組に関わるほとんどの人たちが何一つ疑問を抱くことなく、伝えているのだ。テレビの役割が全く分からなくなった。同時に怖くなった。


そこからだ。スタッフルームにいて、身を粉にして仕事をする人たちに共感できなくなってしまった。そこで頑張る意味を見いだせなくなった。意味以前に、私の中の情熱が完全に鎮火してしまった。


かつてのように命を削るような仕事の仕方は手放して久しいが、自分ができること、稼げるスキル、社会貢献という面から、どこかで割り切ってテレビ番組制作を続けてきたが、そろそろ潮時みたいだ。自分の限りある貴重なエネルギーを注ぐ先として、いまどうしても価値を見い出せないのだから、一度手放してみるのがよいのだろう。


映像の伝えるチカラは今も信じているし、人に会い、話し、取材するのは大好きだ。でも、今までの延長ではない「道」を選択するときが来たのかもしれない。19年近く歩んできた世界を手放すのは、正直怖い。現実的な問題もいくつかある。でもこれ以上は無理できないと、私の全身全霊が教えてくるから、進むしかない。


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