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生き方を見つめ直した日

コロナ禍で、家族や仕事との向き合いが劇的に変わった人は多いだろう。私の場合は強制的に“緩む”ことで、生き方そのものを見つめ直すことになった。


4年前、私はテレビディレクターを続けながら、起業した。当時はママたちの起業ブームで、「起業したらひと月に数日働いただけで会社員以上の収入を得ることができる」という魅惑的な謳い文句に、家庭も仕事も充実させたい、自己実現したいと願うママたちが一斉に飛びついていた。


そのときによく聞いたのは「家族を言い訳にするからママ起業家はダメなんだ」というセリフ。「家族を犠牲にしてでも突っ走れ!」そう教える起業塾が全盛で、頑張れば頑張るほど家庭が崩壊していく、仕事と家庭のはざまで葛藤する人たちを山ほど見た。実際に離婚する人も多かった。


かくいう私も、離婚寸前までいった。当時の私は未来の成功だけを夢みて、目の前にいる家族を、その気持ちを完全に見失っていた。寝る間も惜しんで頑張っている私を理解せず応援もしない夫に苛立ち、甘えてくる2歳の息子に邪魔されている気持ちになって苛立っていた。


見かねた夫が言った。「未来を見るのはいい。でもどうして今を大切にしないんだ」と。


私は起業世界の“集合意識”に完全に飲まれていた。



そんな中、去年コロナで仕事のペースダウンが強制的になされたことで、私は期せず、初めて“緩む”ことになった。そしたら…自分の心地よいペースや環境、大切にしたい人、大事にしたいモノが鮮やかに見えてきた。


まず何より家族を大切にしたいと思った。夫や息子、父や母が笑っていることの幸せ。互いを思いやれる余裕があることの温かさ。それぞれが心地よく、のびのび生きていることの潤い。そして互いの存在を“お守り”にして、それぞれがそれぞれの世界で羽ばたけることの自由。


家族という温かくて大きい土台があってこそ、自分は外へ世界を広げていけるのだと気づいた。完全に一度見失ったからこそ、いま、しみじみ感じている。


私の内側の変化は、思いがけない外側の変化ももたらした。


まず夫が変わった。あれほど私の仕事に反発していると感じていたことが、実はめちゃくちゃ応援してくれていたらしく(初めて気づいた)、その応援を私が素直に受け入れ、感謝するようになったことで、ますます協力してくれるようになった。しかも笑顔で。


そして息子もさらに無邪気に笑いまくり、そのエネルギーを無尽蔵に出すようになった。きっと「安心」しているのだろう。子どもにとってはこの「安心」こそが大事なのだと知った。


「半径3メートル以内にあるものがその人をつくっている」と何かの本で読んだが、こういうことなのかもしれない。誰より近くで共に生きる家族の存在や家族との時間は、その人の人生に色濃く影響するのだ。



で、ふと思い出した。21歳・大学3年生、田舎の親元を離れ、東京で一人暮らしをしていた頃のことを。仕送りで過ごしているくせに一人でいっぱしに生きている気になっていた私の脳天を撃ち抜いた言葉を。


「家族を大切にできない人間が他人を幸せにできるわけがない」


確か、田口ランディさんのエッセイにあった言葉。


当時の私は世界の大変な状況で生きる人たちのことを思い、私がなんとかしなければという思いに駆られ、そうできるようになるために頑張って過ごしている自分に酔っていた。田舎の母の連絡を疎み、母が寄せてくれるさまざまな愛情の形に気づくことなく過ごしていた。

でもどこかで虚しさがあったのかもしれない。ランディさんのあの言葉がズドンと入ってきたのだから。たった一行の言葉が私の、家族との向き合いを変えてくれたのだ。



生き方を見つめ直す度、家族のありがたさを知り、私は強くなる。そしてまた外へ向かって羽ばたける。そして、そして、また、戻るのだ。


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