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生き方が下手くそだと思った

最近の氣持ちが落ちてる期間、
「何て私は生きるのが下手くそなんだ」
「何でこんなにも同じこと繰り返すんだ」
「本当に不器用だな」
って泣けてきちゃったことがあって、久しぶりに少し泣きました。


でも、思ったの。

『私はネガティブに光を当てるのが上手なだけなんじゃないのか?』って。

ただただ『物事を知らなくて経験値が低すぎるだけなんじゃないのか?』って


私は、人に何かを頼んだり、思ったことをそのまま口に出したりするのがとても苦手で、どんな風に頼んだらいい?どこから頼んだらいい?と悩むくらいなら、自分でやってしまえ。と自分でやってしまうタイプです。

子どもの頃から積極的に何でもやってみるようなタイプではなく、できないからやらないとすぐに諦めていることが多くありました。

子どもの頃から褒められたい一心でお手伝いをよくしてきた、いわゆるいい子でした。


世間知らずで経験不足な私。

知識も、教養も、経験も。
色々足りなすぎ。

自分のことも知らなすぎ。
何が好きか、何が楽しいのか、何を嬉しいと感じるのか。
何がキライで、どんな人と一緒にいたいのか。
どんなことはやりたくないのか。
だいぶわかってはきたものの、まだわからない部分もたくさんあります。


でも、積極的に人と関わったり、情報を取りに動いたり、チャレンジしてみたりもしてこなかったんだから、生き方が下手くそで当たり前なんじゃないのか?
と思いました。

世間知らずで、知識も教養も経験も、色々が足りてないからこんなことになるんだから、今から増やしていくしかないんじゃないのか?
と思えたのです。


そう思ったら、生き方が下手くそな自分をしょうがないな。と許せるようになりました。


どうしてもネガティブな方に意識が向いてしまうこともあるし、
できてることよりも、できてないことの方が目につきやすいし、
できてることよりも、できてないことの方が圧倒的に多いような氣がするし。

それは生まれ持った性質なので、そう簡単には変えられない部分です。
私はできてる部分を見つける練習が必要だし、
できてる部分を見つけて自分を認め褒めていくことを習慣にできるよう、トレーニングが必要です。

氣持ちが落ちた時には意識が向いて、できてることを見つけるよう動けるけれど、氣持ちが上がってくるとやらなくなってしまうので、氣持ちがどうあれ、日々できてる部分を見つけて、自分を褒めていくことを習慣づけられるように取り組んでいこうと思います。


いつも同じことを繰り返してしまうなら、いつもと違うことをやらなければ変わらないので、いつもできていないことを見つける方が簡単にできてしまうなら、敢えて苦手な「できてることを見つける」をやってみようと思います。

それから、やったことがないこともとりあえずやってみようと思います。

私の中の判断材料が少ない中で好きとかキライとか、できるとかできないとか、そんなことを考えてしまいがちなんですが、少しでも私の中の判断材料を増やしていけたらいいなと思います。


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