「不謹慎狩り」はなぜ起こるのか

熊本地震後にも起こった「不謹慎狩り」。

著名人が被災者に向けて寄付や勇気づけるコメントを発信したのにもかかわらず、批判が殺到したのはなぜなのか。

新潟青陵大大学院の碓井真史教授(社会心理学)は、心の疲れが一因」と指摘する。

 人間は、災害現場の現状を報道などで見続けると、被災者に共感しすぎて暗い気分になる。ひどくなると、他人が笑ったり普通にしていたりすることにも怒りを感じ始めるという。この心理状態を「共感疲労」といい、他人の笑顔すら「不謹慎」と捉えてしまう原因となる。
「不謹慎狩り」なぜ起きた 地震後にネットで広がる  朝日新聞より抜粋

「共感疲労」に対する疑問点

碓井真史教授は、被災した人の心理を的確に捉え、被災者への好意的な行動が「不謹慎」に転じる理由について述べている。

しかし、被災者への好意的な行動がなぜ「不謹慎」に感じてしまうのか、その根本的な理由が明確になっていない面もある。

著名人による寄付やコメントは、全てが「不謹慎」と捉えられていたわけではなく、その著名人に好感をもった人も多かった。

同じ報道を見ている人でも、一方では「不謹慎」と感じて、もう一方は「好感」を感じるのはなぜなのか?


また、そもそも「共感疲労」という心理的に疲弊した状態で、他人を「批判」するエネルギーがあるのか疑問が残る。

現代ではスマートフォンさえあれば、ツイッターやフェイスブックに気軽に書き込むことができるが、他人を批判するのはそれ相当のエネルギーが必要になることに変わりがない。

声高に批判を続けていた人は、むしろより活動的になっていたとも考えられる。

伝統的な規範意識を重視する人たち

震災で被災した人たちが多くいる場所では、スポーツなどの大会やイベント、祭りなどが自粛される。

仮に直接被害を受けていない場所でもあっても自粛される傾向があるのは、

被災した人に対して、不快な思いを感じさせないようにするためだ。

「他人に迷惑をかける行為は慎んで、できる限り協力し合って生きる。」

こうした考えは、古くから農業を営み、集団で行動し続けてきた日本人にとっては、生存するための絶対的なルールであった。

著名人に向けて批判的なコメントを寄せていた人の中には、伝統的な規範意識にのっとって発言した人もいることだろう。

彼らは他人の足を引っ張りたいわけでも、人の気持ちが理解できないのでもない。

ただ無意識に伝統的な規範意識を発動した人たちだった。

同じ「批判」であっても、著名人に危害を加える人たちばかりではないことは留意しておく必要がある。

SNSと「不謹慎狩り」との関係

「不謹慎狩り」はどのように起こっているのだろうか?

被害にあった熊本県在住のタレント井上晴美さんの場合は、自身の「ブログ」に掲載した内容をきっかけとして批判的なコメントが寄せられたという。

また、女性俳優の長澤まさみさんの場合は、他の女優らと一緒に撮った笑顔の写真をインスタグラムに投稿したことがきっかけとなった。

福岡出身の西内まりやさんの場合は、ツイッター上で自撮り画像付きの応援メッセージを提供したことがきっかけとなったという。


こうした背景を考えてみると、投稿された批判的なメッセージがブログのコメント欄やSNSを通して発せられたものであることがわかる。


「不謹慎狩り」の特徴

書き込まれた内容はどれも短文で、衝動的に、かつ感情的に書かれたものが多い。

つまり、何らかの深い考えがあったわけではなく、条件反射的に書いたものが大半を占めている。

もっと言ってしまえば、彼らの大半は「見たまま」、「感じたまま」の感想を述べているだけで、著名人の行動の真意などはまるで考慮していないのだ。

その証拠に、著名人に対して、論理的・理性的に説明した長文の批判はどこにも存在していない。


「不謹慎狩り」は個人のつぶやきが表面化したもの

「不謹慎狩り」で繰り広げられる批判は、空虚な個人のつぶやきと似ている。

そのつぶやきは以前からあったものの、表面化することはなかった。

だが、今そのつぶやきは急速に進化し続けるインターネットの力で目の前の現実として表れる。

そしてそれは哀しいことに、往々にして人の心を傷つけるものであることが多い。

批判から見えてくるもの


伝統的規範を持つ人 vs 自由に生きる人

「不謹慎狩り」は一般的に「著名人」と「一般人」との衝突のように思われているが、実は「伝統的な規範」を重んじる人とそうでない人との対立である。

例えば、「不謹慎狩り」を行っている人たちは先に述べた「伝統的な規範」を無意識に信じて疑わない人たちが大半を占めている。

彼らは盲目的に自らの道徳を信じるあまり、規範から逸脱した人たちをやみくもに批判し続ける。

一方で、日本社会の中には「伝統的な規範」を重んじず、自由に行動する人も多い。

彼らは現代的で合理的な考えを持つ人が多く、たびたび「伝統的な規範」を重視する人たちと衝突する。

この衝突はおそらく私たちの社会が大きく変革する過渡期に起こるものだろう。

その対立は新しい時代のために必然なものだと思われる。


「批判」にどう対処するか?

ブログやSNSなどを通して簡単にメッセージが送れるようになった一方で、自分が思いついたことをそのまま相手に伝えることが可能になった。

それはつまり、メッセージを送る側が何の根拠も示さずに相手に自分の意見をぶつけることが可能になったということでもある。


このコミュニケーションが奇妙なのは、メッセージを送る側が「対話」を望んでいないという点である。

相手の言い分に耳を傾けずにただ自分の意見を伝えようとする。

そしてその考えが受け入れられなければ、さらに相手に攻撃を加えようとする。


この傾向は必ずしも一部の奇人だけに当てはまるものではない。

よく見渡せば、ネット上で繰り広げられている多くの「批判」は、その「一方通行のコミュニケーション」によって引き起こされたものであることが分かるだろう。

彼らは必ずと言っていいほど、物事を一面的にしか見ようとしない。

自分の意見が正しいかどうか、あらゆる側面から検証しようとしない。

そして、人の持つ多様な価値観を認めずに、自分の価値観だけが正しいと主張する。


インターネットは確かに多様なコミュニケーションのあり方を私たちにもたらした。

ブログやSNSの登場によって、それまでは考えられないような人と人とのつながりが生まれていることも確かだ。

しかし、その一方で、私たちのコミュニケーションがどんどん一方通行なものになってはいないだろうか。


「不謹慎狩り」は他者とのコミュニケーションよりも自分の意見をだけを押し通そうとするところから生じている。

それがが起こるのは、他者との対話を拒否する稚拙なコミュニケーションが蔓延した証拠でもある。

だとすれば、「批判」を「批判」で返すことは逆効果でしかないだろう。

今最も必要なのは「批判」ではなく「対話」なのだ。





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